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赤根ふくろう
赤根ふくろう
novelistID. 36606
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夏、来るらし

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貴志は地元から少し離れた高校に通い始めた。
学業成績はごく普通だったが、話をした限りではなかなか利発な子に思えたので、これなら進学する子が多いところに通わせた方が後々良いのではないか、と思ったのだ。もっとも本人の希望は、通わせていただけるならどこでも、と、とことん欲が無かったが。
この『欲が無い』というのは彼の一つの特徴で、食事もそう量をとらないし、おやつも最初に与えた量以上に欲しがることは滅多に無かった。衣服も調度もこちらで初めに用意したもので何も不自由・不満は無い、と嬉しそうにしていたし、小遣いは最初にこれでどうか、と尋ねた額のままに決まった。では、せっかくだから好きな部活動にでも入れば、と勧めても、そんなにやりたいことも無いので、と興味を示さなかった。本を読むのは好きらしく時々図書館で借りたりしていたが、その他の趣味は本当に無いらしい。当然夜は早く寝る。礼儀正しく挨拶をして、足音を忍ばせて二階に行くと、いくらも経たずに明かりが消えるのが常だった。
『なかなか甘えてこないわねえ……』
塔子はやや拍子抜けしたようだったが、十五年かけて築いた彼なりの生活を、急に変えろというのも返って気の毒と思ったのか、よほどのことが無い限りそっとしているようだった。
「まあ、お年頃だし照れちゃうのもあるかしら。それならそれでいいけれど……でも、気になるわ」
「どうした?」
「貴志君ね、よく怪我をしてくるのよ」
「怪我? 何だ、友達と喧嘩でもしてくるのか?」
正直、意外だった。彼の日常はとてもおとなしくて穏やかで、およそ人と争うなどという場面は想像できない。
「いいえ。喧嘩ではないんですって。確かに殴られたとか蹴られたとか、そういう傷ではないわね」
「じゃあなんだ?」
「貴志君は自分の不注意で転んだって言うの。服も良く泥だらけにしてくるし、葉っぱや木の枝がくっついたりもしているから、嘘ではないんでしょうけど。でも、あんなにしょっちゅう転ぶのって……ああ、わからないわ。男の子のことは。まあ女の子だってこの年頃はいろいろあるからわからないけれどねえ」
塔子はそれきり、その懸念を言い出すことは無かった。
が、私は少し気になった。
怪我をするのが本当に貴志自身に原因があるなら放っておいて構わないだろう。だがもし……もし、助けを必要とする事態なのだとしたら、見過ごしにはできない。私は彼に間貸しをしている大家ではないのだ。保護者―――親代わりなのだから。
少し思案したが、私は今回は彼に直接問い質すより、自分で調べるやり方をとることにした。秘密裏に、というのは性分ではなかったが、問い詰めて追い詰めるのはさらに本意ではない。ただ彼の無事が図れれば良いのだから許してもらおう。
機会は案外すぐ、訪れた。
「貴志君、今、時間ある?」
夕刻、塔子が彼に頼む声が、書斎の私の部屋にも聞こえてきた。
「けんちん汁に入れるお豆腐を買い忘れちゃったの。悪いけどおつかいしてくれないかしら?」
「わかりました」
「豆腐屋さんの場所、知ってる?」
「はい。薬局の脇から行くとすぐ目の前に出られますよね。通ったことあります」
「ええ、そう。だけどあの道、ほとんど雑木林でしょ? もう暗くなるから表通りの……郵便局の方から行きなさい。急がなくていいんだから」
「いえ……えっと……」
「じゃ、木綿豆腐一丁と、あとついでに明日の朝のがんもどきも三つ、お願いしようかな。二種類あるけど、百合根の入っている方ね……ふふ、いろいろ頼んじゃってごめんなさい」
「いえ。どんどん言ってください」
いってきます、の声と共にガラガラと玄関が開いて閉まった。
その時には私は書斎から縁側に出て、サンダルを履いていた。そして裏の木戸から雑木林に入り、そのまま歩き出した。
塔子には注意されたが、貴志の性格では近道を通るに違いない。林の中での様子を見れば、少し何か分かるかもしれない。
狙いは違わず、まもなく貴志が木々を抜けてくるのを待ちうける形で見つけることが出来た。夏とはいえ夕暮れ時、もう林に陽は差し込まず、あたりは薄暗い。その中を貴志は足早に歩いてくる。辺りは静かで何も異変はない。何だ、杞憂か、とほっとしたときだった。
足音が止まった。
「退いてくれ」
はっきりと、そう聞こえた。
気をつけて身を隠しながら覗く。貴志は立ち止まり、険しい顔で前方を見ている。
だがそこには何かあるようには見えない。
ましてや、話しかける言葉が分かるもの……人の姿をしたものなど、どこにも。
「いや、何も持っていないよ。でも退いてくれ。困るんだ」
ざざっと落ち葉を蹴立てる音がした。貴志が立てた音ではない。彼は一歩も動かず、前方を睨んでただ立っているだけだ。だがその目の前、三メートルほどのところの地面から落ち葉が数枚舞い上がり、くるくると渦を巻いて彼に近づいていく。
―――危ない!
なぜかそう思った私は飛び出そうとしたが、そのときにはもう貴志は走り出していた。渦巻きを避けるのではなく、突き飛ばすように腕を出して。ばさっ、と何かがぶつかる音がした。うう…というような、言葉とも呻きともつかない、奇妙な音も。そしてがっかりしたようにパラパラと渦巻きが散ると、踊っていた落ち葉は再び雑木林の中に溶け込んだ。
貴志はそのまま走って行った。
何だったんだろう。今のは。
目の錯覚?
作品名:夏、来るらし 作家名:赤根ふくろう