雪椿
歳は二十五、六くらい。背の高い痩せた男だ。黒いコートを着込み耳宛の付いた帽子を被っている。このあたりの村人とは少し様子が違う。町のものではないか、とギンは感じた。
(町のものが何の用事か)
男は参拝が目的ではないらしいのだ。うろうろと、参道沿いの藪を覗き込んでは立ち止まる。時には少し参道を外れて山の中に分け入ったりもしている。
失せもの探しか、とも思うが、それだったら地面を見ているであろうに、男の視線は常に空中……背の高さより少し上くらいをせわしなくさまよっている。なによりここに忘れ物をするはずはない。だってあんな男、ギンは見たこと一度もないのだから。
と、そこまで考えてギンはぎくりとした。
あの男、もしや自分を捜しているのでは?
遠い昔、自分をここに置いていったものたちの子孫か何かか? いやそれとも。妙な狐面の男がいることを知り、怪しいものとして祓おうとしているのかもしれない。
「それは困る」
ギンは呟くと手水鉢の横に生えている大きな銀杏の木に登り始めた。ぱさ、ぱさ、と雪が落ちるが、椿と違ってとっくの昔に葉を落とした銀杏の枝には積もる雪もたかがしれている。落ちても大した音もしない。するすると登ると狭い境内のほとんどが見渡せるここは、ギンの見張り所のようなものなのだ。
大きな枝に腰掛けてやってくる男を待ち構える。
あちこちに寄り道をしながらも、男は本殿に近づいてきた。二の鳥居をくぐる。緩やかな坂を登りきればもう三の鳥居が目の前。さきほどギンが腰を下ろしていた石段も見えてくる。
と、男は急に足を早めた。さく、さく、と踏んでいた足音が、ザクザクザク、とせわしなくなる。
はあっ、はあっと荒い息の音も聞こえてきた。
止まった。
「あった!」
男は両手を上に突き上げて喜んでいる。その目の前には先ほどギンが眺めていた椿があった。
「やっぱりあった。おじいちゃんの言うことは本当だったんだなあ」
男はそんな独り言を放ったかと思うと、その椿の木の周りをぐるり、と廻り始めた。
そして椿の枝振りや、花の一つ一つを注意深く見ている。時には手を伸ばし雪を払って、色や形の良いものを見分けているらしい。
だがやがて一輪、ひときわ大きく美しく咲いたものを見つけると、うん、背伸びしてその一輪の枝元を掴んだ。
「あ……」
見ていたギンは思わず声を上げた。
男の手がぎりぎりと椿の枝を捻りあげ、捻じ切るようにして摘み取ってしまったからだ。
葉を二、三枚残して摘み取られた花は、仲間たちと引き離され男の手の中で揺れている。先ほどまで元気で生き生きと見えた姿が、今は途方に暮れてうなだれているよう見えて心が痛む。
しかし男はそんなギンの気持ちなど知らない。
摘み取った椿の花を、まだ雪がしんしんと降る空に向けて掲げると、懐から取り出した白い紙でくるくると包んだ。そして、肩から背負った小さいリュックのような鞄にそれを詰めると、ざくざくと雪を踏んで本殿に近づいた。
ギンはするすると音もなく木から降りる。そして手水鉢や絵馬掛けなどに出来るだけ身を隠しながら、そっと男の背後に回る。
そうとも知らない男はしゃらしゃらと壊れかけの鈴を鳴らすと、パンパンと拍手を打った。瞑目して一心に祈る。そして目を開け。
「尚子が、合格しますように」
そう、声に出してから、また合掌した。
礼拝を済ませた男はすぐに踵を返した。雪の降りはいよいよ激しい。長居する理由は無いのだろう。
ギンはその後姿を見送るとすぐ、椿の木に取って返し、もう一度しげしげと眺めてみた。
その足元に、一体、また一体。楠に住まう妖たちが寄ってきて、同じように眺める。