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赤根ふくろう
赤根ふくろう
novelistID. 36606
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雪椿

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 神社への参道は一の鳥居を出るとすぐに二股に分かれる。
 左は下る道。少し行けばコンクリートで固めた道に出る。町の中心部に通じる道で車も多く通るし人も多い。右は登る道。山の肌に沿ってぐるりと回り、隣の集落へ続く道だ。普段から通る人は少ない。この雪ではなおさら誰もいないだろう。
 あの男は果たしてどちらを行ったか。しばし迷う。が。
「……こちらか」
 雪が道しるべになってくれた。
 積もった雪に付けられた足跡は意外にも右、人気のない方向へと進んでいた。
「あの男、町から来たのではないのか?」
 小首を傾げ、進む。ゆるやかな上り坂。右手には用水路、その向こうに狭い田が見える。谷を隔てた向かいの山の斜面へと続く棚田だ。ここも雪が積もって白い。田の真ん中あたりには大きな鷺が一羽、目を閉じて片足で立ちじっとしている。けれどギンが通り過ぎると飛び立った。背中から追い越して、そのまま道に沿って低く飛んでいく。小さな羽音が背から追い越し、また遠ざかっていく。
 と、鷺が消えていった方向から、人の話し声が不意に聞こえてきた。
「なんてことを」
 女の声。前方、やや左に寄ったところ。ギンは斜面を攀じ登ると目を凝らす。
 いた。道祖神か。田を見下ろすように祀られた小さな祠の前。先ほど椿を摘んでいった男がこちらに背を向けるようにして立っている。そしてその男と向かい合って、女が一人、片手に大きな荷物を抱えて佇んでいた。
 白いコートに白い手袋を着けた姿は、少し先ほどの鷺に似ている。ほっそりとして顔の小さい女だ。顔立ちも細面でなかなか美しい。
 ギンは竹薮に身を隠しながら近づいた。会話が聞こえてきた。
「神様のお庭から黙って頂いて来るなんて。そんなことしたらだめよ、罰が当るわ」
「大丈夫だよ、罰なら僕に当るもの。尚子さんには関係ない」
「あなたに罰が当ったら、私がどんな気持ちになると思っているの?」
「それは……」
「返しに行きましょう。よく謝ればきっとお赦しくださる」
 女のもう片方の手には、やはりあの、美しく咲いた椿があった。男が巻いた紙包みも解かぬまま、女はそれを持って歩き出そうとする。
「待って」
 男が引き止める。振り返ったその顔にギンはびっくりする。何て悲しそうな顔だ。
「後で僕が誠心誠意、謝っておく。ね、それで良いでしょ? 君はもう行く時間じゃないか。早く行かないと、バスに間に合わない」
「いいえ。私のために摘まれた花ですもの。私が謝らないと。バスなら一時間遅いのでも大丈夫。どこかで泊まって明日の朝早く着ければ……」
「やめてくれ」
 男は跪かんばかりに頭を下げる。
「僕はそんなつもりじゃ……ただ、君が少しでもここに、良い思い出を持って行ってくれたら良いとそれだけ……それだけを思ってしただけなんだ」
 尚子は立ち止まる。手の中の椿をじっと見ている。
「君は……ここに来て、楽しいことなんて一つも無かっただろう? 隠さなくても良い。知っている。あの家……新しい君のお母さんは、君に随分辛く当ったそうじゃないか」
「……仕方ないわ。血の繋がらない親ですもの」
「連れ子の姉さんも、そうだったって聞いたけど?」
「それだって仕方の無いこと……姉さんも辛かったと思うのよ。派手なことが好きな人でしょう? きっと大きな都会で暮らしたかったと思うの。それなのに母親の再婚でこんな田舎に暮らすことになったんですもの、誰かに当らなきゃやっていられ……」
「庇わなくて良い。あいつは酷い姉さんだ。尚子さんのことを誰彼構わず悪く言って回って……あんなことをされては、君が出て行こうとするのは仕方ないってみんなわかっている」
 男は今度は尚子の肩に手を掛け、宥めすかすように語りかけ始める。
「もちろん僕もわかっている。でも……寂しいんだ。尚子さんがいなくなってしまうのは」
「雅弘さん……」
「せめて、そういう人間がこの町にもいたことを、覚えていて欲しくて……それで、君が好きだといっていた花を探したんだ」
 男は更に何か小声で話しかけた。けれどギンには、男が何と言ったか、女が何と答えたか、わからなかった。
 二人はお互いの肩を引き寄せあい、抱き締めあって囁いていた。男が問い、女が首を振る。そして女が言う言葉に、今度は男が首を振って答えて。
「さあ、本当にもう行かなくちゃ。今夜中に向こうに着くように。明日は大事な試験なんだから」
 そう言って男が身体を離すと、女は今度は頷いた。
 男は手を伸べ、女の荷物を持つ。女は腕に椿を抱き、その隣に並ぶ。
 歩く二人の後ろをギンはもう付けてはいかなかった。
「試験に合格したら、○○病院に就職が出来るわ。そこの事務長さん、以前の仕事で少し知り合いになった人で、わけを話してみたら約束してくれたの。人手も足りないし、こちらとしても助かるって」
 ギンの隠れた藪の前を通り過ぎるとき、女がそう言っていた。
「そうしたら寮に住めるから……そのときにはきっと連絡する」
「待ってるよ、必ず会いに行く」
 そんな会話が聞こえていたから、ああ、そういうことか、とわかったのだ。
 遠ざかる二人の背後を、真っ白な雪が埋める。足跡もすぐにみえなくなる。少し吹雪いてきたようだ。
 けれどギンは道に迷うことなく、歩いて元の神社に戻っていった。
 石段を上ると椿の木は、相変わらず暖かな花をたくさん付けていた。
「一輪だけ、か」
 これほど咲き誇る中から、男は一輪だけを選んで摘んだ。それに悪いことだと諭されれば素直に聞いていた。
「悪い男ではないのだな」
 ギンはお社の前に回ると、掌を合わせて目を閉じた。山神の気配が微かにする。
 その気配に、どうかあの男に罰を与えないで、と願った。
「それと、女が試験に合格して、幸せになりますように」
「ギン、どうしたんだ? あの男、懲らしめた?」
「……いや、やめた」
 わらわらと出てきた妖たちに、ギンはどう話をしたものかなあ、と思案しながら社殿を下がった。
作品名:雪椿 作家名:赤根ふくろう