雪椿
同じころ。
遠く離れたとある町で、一人の少女が高校の入学試験に挑んでいた。
科目は最後の英語。残念ながら彼女の苦手科目の一つだ。
問題は大題で五問ある。長文読解の総合問題が二問に英文和訳、英作文、そして聞き取り。一番苦手な聞き取りは幸運なことにとてもわかり易くて簡単だった。が、その分、というわけではないだろうが英作文がとても難しい。
(どうしよう。この二つ……どっちもわからない)
三問から二問選ぶ選択式の回答だから、焦らなければそのうちどちらか似たような例文を思い出せると思うのだが、わからない、と思った瞬間からドキドキしてしまい、頭がまったく回らなくなってしまった。比較的簡単そうなのをなんとか解こうと頑張ってみるが、正解の欠片も思い浮かばない。ドキドキはいよいよ酷くなり、息苦しくさえなってくる。頭がくらくらする。
そのときだった。
―――お前は何でもすぐに飛びつくんだな。
(……ギン?)
ぴくりと顔を上げる。
が、周囲には同じ受験生たちが一心に鉛筆を走らせているだけ。
(ギンの声が聞こえた気がしたんだけど)
もう一度テスト用紙に向かい合おうとした。するとまた。
―――落ち着け。慌てるな。大丈夫だから……
「やっぱり、ギン……」
思わず声に出てしまった。エヘン、と試験官が咳払いをした。いけない、と慌てて今度こそテスト用紙に顔を向ける。
しかしそれまでのわずか二、三秒の間に、蛍の脳裏には去年の夏の出来事がまるて走馬燈のように駆け巡った。
ギンと笹船流しに出かけたのだ。
ギンだけが知っているという笹船流しに良いという淵は、神社からは少し遠いが水がきれいで流れが緩やかだそうな。蛍は張り切りお弁当持参で出かけ、彼の言うとおりの清らかな水の流れでさんざん遊んだ。
笹船を作って速さを競ったり、華やかさを比べたり。そこらに生えてる酸っぱいイタドリをかじったり、茎に葉をさして水車を拵えてみたり。ただ岩の上でぶらぶらと、足を水に浸けて涼んだり。
だが、その足を水に浸けて涼んでいたときに、目の前をきれいなトンボが横切った。思わず捕まえようとした拍子に岩から転げ落ちてしまい、流されて溺れそうになった。
慌てふためいてあっぷ、あっぷもがき始めた自分に、ギンは『落ち着け。慌てるな。大丈夫だから』とゆっくり声をかけてくれた。その声を聞き、ギンが少しも慌てていないと知ると急に、ああ、ギンがそういうのなら、大丈夫かもしれない。そう感じて落ち着いた。おかげでそのまま流れに乗って緩やかな曲がりにたどり着き、浅瀬に足を着けることができた。
でもギンはそのときになって急に、バカだな、と言いだした。お前は何でもすぐに飛びつく、と怒った。
とても心配していたのだと初めて知った―――
(ギン。ありがとうね)
あのときと同じ、今度もギンの声にすっかり落ち着気を取り戻した蛍は、深呼吸してもう一つの問題に取り組み始めた。
よく見ると、覚えのある構文を使えそうに思える。鉛筆を持ち直す。集中する。
外では白い雪がしんしんと降っていた。