冬の使者きたりなば
そうして互いの胸の内に秘めた想いを抱えながら、すぐに土の曜日になった。
アンジェリークは約束通りルヴァに同行してもらい、二人で大陸へと降り立った。
神官に挨拶をして幾つかの報告を受けてから、件のキノコがよく採れる地域を教えてもらい早速そこへ足を運んだ。
彼女から事前に暖かい格好でと言われていたため、ルヴァは通常よりも厚着していた。
季節は晩秋ゆえに辺りは一面の紅葉に覆われて色鮮やかで、二人の目を存分に楽しませている。
「わー、この間はまだ緑が多かったのに、もうすっかり秋になってる!」
ルヴァはきりりと冷えた空気を胸いっぱいに吸い込み、移動で少し強張った体に活を入れた。
「季節がひとつ進んだみたいですねー、いやー、それにしてもこれは見事な景色ですねえ」
眼前に広がる素晴らしい景観に二人はじっと魅入った。
「あぁほら、あちらを見て下さい。白樺林がありましたよ」
そう言ってルヴァは林の場所を指差してみせるものの、アンジェリークが指先を辿っても分からずにいた。
「ええっ? ルヴァ様、どこですか? もうちょっと右ですか?」
「そっちじゃないです、あの丘の向こうに黄色の塊が見えませんか」
「ええー? どの丘か分かりませんよぅ。どこですかー」
言い合っているうちにアンジェリークの体が寄せられて、ふわりと爽やかな香りがルヴァの鼻先をかすめた。
どくりと心臓が跳ねたことに気づかないふりをするルヴァ。
アンジェリークには分からないように、ふ、と小さく息を吐き、彼女の背後に回って肩越しにもう一度指差した。
「これなら分かりますか?」
腕から手、手から指先へと慎重に視線を巡らせていたアンジェリークの瞳が輝き出す。
「あ……! 分かりました、割と近そうですねっ」
嬉しそうにアンジェリークが振り返り、彼女の顔を覗き込むような姿勢だったために思いきり視線がかち合った。
「あ、す、すみません……!」
大慌てでアンジェリークから体を離し、ルヴァは軽く咳払いをして視線を彷徨わせている。
あたふたとしている彼の姿を不思議そうに見つめ、アンジェリークは小首をかしげた。
「では、行きましょうかー。この距離なら小一時間で到着すると思いますよ」
降り立った時には肌寒いと感じていた二人も、のんびりと歩き続けるうちに体が温まってきた。
秋の陽射しは柔らかく降り注ぎ、少しの風が肌に当たればひんやりと心地よいほどだ。
なだらかな丘を越えたところに黄色く色づいた白樺の林が姿を現した。
林の中は白樺がメインに生息しており、黄葉をはらはらと落としている。
周辺ではその他の落葉樹たちが赤や橙に色づかせた葉を纏い、その絢爛豪華な装いに二人は全ての言葉を失っていた。
アンジェリークの滑らかな肌が薔薇色に染まり、笑みを浮かべた口元のままルヴァのほうを振り返った。
「とってもきれいですね、ルヴァ様!」
「…………」
ルヴァの視線は確かにアンジェリークに注がれていた。だが彼は何の反応も見せずにぼうっと立ち竦んでいる。
「……ルヴァ様?」
アンジェリークがちょいちょいとルヴァの袖を引くと、はっ、と素っ頓狂な声が出された。
「は、はいっ? なんですか?」
「もうっ、急にどうしちゃったんですかー。具合でも悪いんですか? もう戻ります?」
心配そうに眉根を寄せたアンジェリークに、急いで笑顔を浮かべて取り繕うルヴァ。
「い、いえ、大丈夫です! もうちょっとだけ見ていきましょう、ね?」
「いいですけど、無理はしないで下さいね。ルヴァ様が倒れちゃったらわたしじゃ運べませんから」
くすくすと笑いながらそんなことを言い出したアンジェリークに、ルヴァの頬も思わず緩む。
「おや、なかなか言いますねー。私はちゃーんと運びますから、その点は安心して下さいねー」
「えーっ、そしたらわたしが重たいってバレちゃうー!」
両手で頬を押さえ、ぴょこぴょこと飛び跳ねるような足取りで小走りに駆けていくアンジェリークに、ルヴァは慌てて声をかけた。
「アンジェリーク! 足元に気を付けて下さい、落ち葉が湿っていて滑りやすいですよー!」
「だいじょ……ぶ、っとっと……きゃあ!」
言われた矢先に足を滑らせすてんと尻餅をついたアンジェリークが、若干しょげた顔で恐る恐るルヴァを見上げる。
「ご、ごめんなさい……」
「ほらね、だから言ったでしょう? こういうところで走ってはいけませんよ。……怪我はないですか?」
「はい、大丈夫です……」
そうしてルヴァから差し出された手を頼りに立とうとしたとき、ふいにルヴァが近づきアンジェリークの腰へと腕を回した。
そのままぐいと持ち上げられてすんなりと立ち上がったものの、ルヴァの腕はがっしりとアンジェリークを抱え込んだままだ。
突然のことに目を白黒させつつ彼の様子を伺うと、じっとこちらを見据えているその表情にいつもの笑みはなかった。
「あ、の……?」
どうしてと思ったが、頭の中を駆け巡った幾つかの言葉はどれも声にならなかった。
(こんなルヴァ様は、知らない────)
早鐘を打つ胸の鼓動が彼に伝わってしまわないようにと祈りながら、まるで睨まれているような気さえする視線の強さに眩暈を覚える。
うっかり言葉を発してしまえば、この危うい均衡が一気に崩れてしまいそうで、アンジェリークは微かに怯えた。
二人の視線が絡み合っていたのは、時間にすればごく僅かな間のことだ。
ルヴァの表情がいつものものへと戻ると同時に腕に力が込められ、ぐ、とアンジェリークの体が持ち上がった。
少しだけ宙に浮いて、すぐに地面へ降ろされる。
にこりと口角を上げておどけた表情を作るルヴァ。
「……ちっとも重たくないですよ?」
唖然とした顔になるアンジェリークを見て、ルヴァはくすくすと笑っている。
「い、今のってもしかしてそれを確認したかったんですか!? ひどーい!」
真っ赤な頬を膨らませてすたすたと先を歩き出したアンジェリークの背を、ルヴァはやるせない思いで見つめた。
(そうですね……私は、酷い人間です)
間近に見た澄んだ瞳に年甲斐もなく見蕩れて。
見事な紅葉ですら霞んで見えて、あなたのほうが何倍もきれいですよと言いかけたのを必死で堪えて。
戻るかと聞かれたとき、もっとあなたと過ごしたいと言いそうになったのも、どうにか堪えて。
(どう足掻いてももうごまかせない癖に、いつまでも気づかぬふりをし続けて。今ですらどさくさに紛れてあなたに触れる口実を探してしまっている始末……なんてさもしいことか)
頭の中でいけないと思えば思うほどに、心と体は意に反して深い底なし沼へ嵌っていくようだ。
それは抜け出そうと藻掻いても決して抜け出せない、甘美な地獄。