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報復

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 土曜日のオペラ座でのレセプションにはドゴール将軍が出席するという話だったので、各国大使夫妻をはじめ、大勢の出席者が顔を揃える盛況となった。だが、結局フランス大統領は現れなかった。彼がアルジェリアの独立を認めて以来、OASなどフランス国内の右翼急進派が幾度となくドゴール暗殺を企てていたから、おそらく警備の都合だろうと人々は囁きあった。ドゴール自身は暗殺の危険など意にも介さぬ豪胆な男で、そういう理由で公式の予定をキャンセルするのを嫌っていたが、彼の身辺警護に責任を持つ内務省の方は冷や汗もので、出来る限り大統領を公の場に曝すまいと、いつも口実を探していた。どうやらこの日は、その努力が効を奏したらしい。
 そんなわけで、レセプションは主役を欠いていささか間の抜けたものとなったが、各国大使館員たちはせっかくの機会とばかり情報交換に務めていた。その中にはもちろんソ連大使館の面々も混じっており、KGB駐在官オフィスの長を務めるパブロフ参事官の姿もあった。
 ドレスコードに合わせてタキシードを着込んだマクベリーは、SISやBNDの顔見知りと目で挨拶を交わしながら、さりげなく会場を見回した。ソ連大使がフランス共産党書記長と談笑しているのが見え、そこから数歩さがった辺りに、やはりタキシード姿のザイコフが随員らしい様子で立っていた。と言っても随員らしいのはその位置だけで、あまり畏まっているようにはみえない。ただ手を後ろに組んで立っているだけなのだが、慣れないものを窮屈な思いで着ているマクベリーとは違って、その服装が妙にしっくりと馴染んでいる。立ち姿も自然でリラックスしてみえ、何やら優雅で貴族的な雰囲気さえある。ソ連大使はもともと庶民的な風貌の男だったが、彼が後ろに控えているせいで余計に庶民的にみえるのが気の毒だった。
「ちょっと、素敵じゃない、彼」
 いつの間にか傍に来ていたジェシカが、マクベリーの耳元でささやいた。今日のジェシカはエドワーズ参事官、つまり支局長の同伴者を務めている。自慢の金髪にウェーブをかけ、胸元の開いた鮮やかな緑のドレスをまとって、一層その美貌を際立たせていた。
「背が高いだけあって正装が決まるわね。あんな風に立ってると、まるでどこかの貴公子だわ。それに引き換え、ジョン、あなたったらカカシみたいよ」
「悪かったな」
 けらけらと笑うジェシカに苦笑を返しながら、マクベリーは釘を刺した。
「ジェシカ、離れてろよ。君が傍にいると目立ちすぎる。今日は彼と話さなきゃいけないんだから」
「はいはい分かってます。邪魔はしないから安心してね、カカシさん。貴公子とカカシの立ち話ってのも、かなり目立つような気はするけどね」
 小声でそう言うと、あははと軽い笑い声をあげて、ジェシカはエドワーズ参事官の傍に戻っていった。周囲にいた数人の男たちの視線が、彼女の後をついていった。
 ジェシカが行ってしまうと、マクベリーはハイボールのグラスを手に、何気ない風を装ってぶらぶらと歩きながら壁際の目立たない場所に移動した。そこでグラスの酒を舐めながら目の端で《庭師》の様子を観察していると、パブロフ参事官が彼に歩み寄って何か耳打ちしたようだった。するとザイコフは小さく頷き、まだ話し中のソ連大使の傍をするりと離れた。一方パブロフ参事官はザイコフの退去を埋めるかのように大使の隣に並ぶと、フランス共産党書記長との会話に参加したようだった。
 大使の傍を離れたザイコフは、壁際を回ってマクベリーの方に近づいてきた。パブロフに何かを耳打ちされた直後だけに、彼がこれほど堂々と近づいて来たのにはマクベリーの方が驚いた。
「実にいいタイミングだ」
 マクベリーの隣に並ぶと、ザイコフはニヤリとして言った。
「次の大統領に関するうわさ話でも聞き出して来いとさ。うちのボス直々のご命令だ。おかげであんたと立ち話をしても怪しまれずに済む」
「そいつは大いに助かるな」
 マクベリーも言った。
「おたくのボスがあんたに何か話しかけたのは、SDECEの連中も見てただろうからな。マルセイユの一件で彼らも《庭師》の正体には興味津々だから、あんたと話す前に、誰か他の情報官を捕まえて彼らの目をごまかさなきゃと思ってたんだが、これなら言い逃れがきく」
「それで? 私の方から話しかけろという指示だったが、CIAは私のために何か情報を提供してくれる気になったのかな?」
「まさに、次の大統領に関するうわさ話だ」
「冗談だろ?」
「いや、本当だよ。おたくのボスはいい勘してるな」
 マクベリーはそう言って笑ったが、ザイコフは明らかに落胆した様子だった。
「…もう少しマシな情報を期待していたが、結局その程度か。あんたは私の置かれている状況が分かっていないか、やっぱり使い捨てにする気かだな」
「そういうセリフは話を聞いてからにして欲しいな。言っておくが、このうわさ話は、ただの風評や醜聞ネタとは次元が違う。たぶん政治局にまで報告がいく話だ」
 マクベリーがそう言うと、ザイコフは疑い深げながらも少し鋭い顔つきになった。
「…では、聞かせてもらおうか」
 そこでマクベリーは、次の大統領に関する《次元の違ううわさ話》を、順序よく手短に話して聞かせた。ザイコフは注意深く耳を傾け、マクベリーが予想した通りの疑問を発した。すなわち、人権外交が基本のアメリカの建前はどうするのかという疑問である。63年まで北京にいた彼は、中国の国内情勢に関してマクベリーなどより遥かにシビアな認識を持っていた。マクベリーは支局長に言われた通り、新大統領の国務長官にスカウトされたキッシンジャーの人物評を披露した。
「…なるほどね」
 話を聞き終わったザイコフは苦笑した。
「確かに醜聞ネタとは次元が違うようだが、CIAもただ気前がいいわけじゃないな。結局はアメリカの利益を見込んだリークというわけだ」
「だが、モスクワにとっても無価値な情報ではないだろ?」
「まあ、貴重な判断材料にはなるだろうね」
「この話は、あんたが俺から巧妙に聞き出したということにしてくれ。今日、あんたの方から話しかける形にしてもらったのは、そのためだ」
「ありがたいね」
 ザイコフは苦笑しながら肩をすくめると、その笑みを浮かべたままでこう言った。
「ところでそのアイディア、出どころはゴールキンだろう」
 途端にマクベリーは冷や水を浴びせられた気分になり、内心で舌を巻いた。
「…鋭いな。どうして分かった?」
「別に驚くようなことじゃない。私が北京にいた頃には、すでにソ連と中国の対立は深まっていた。よくそのことでゴールキンがこぼすのを聞いたからさ。今の状況で中国にアメリカが接近してきたら、ソ連は孤立させられるとね。むろん当時の彼は、それを憂慮して言ってたわけだが…」
 亡命した今は、その憂慮も点数稼ぎの戦略アイディアに変わったか、と続くセリフを、ザイコフは声に出さずに飲み込んだ。ここでゴールキンへの反感を見せては、やっと勝ち取った信用にまた傷がつく。
「…そういえば彼は今、どこにいるんだ?」
 ふと思いついたように、ザイコフは訊ねた。マクベリーは首を横に振った。
「それは言えないな。悪いが、こればかりはあんたにも教えるわけにはいかないね」
作品名:報復 作家名:Angie