報復
第二に、その時期のCIAが複雑な内部状況を抱えており、ソヴィエトからの亡命者に対して懐疑的になっていたことが挙げられる。ゴールキン以前にも、KGBからは何人もの亡命者が出ていたが、中でも有名なのは60年に亡命してきたアナトーリィ・ゴリツィンだろう。彼はこの世の悪事はすべてKGBの仕業だと口を極めて告発し、CIAのタカ派をウットリさせて一躍スターとなった。63年のケネディ暗殺でも、容疑者としてリー・ハーヴェイ・オズワルドが逮捕されると、ゴリツィンはオズワルドがKGBの手先だったと証言し、暗殺はKGBによる陰謀だと主張した。実際オズワルドは、かつてソ連邦に亡命したことがあり、かの地で1年余りを過ごしたという経歴の持ち主だった。ところが64年になってユーリィ・ノーセンコが亡命してきて、ケネディ暗殺へのKGBの関与を否定した。ノーセンコは自分がオズワルドの担当管理官だったことを明かし、彼は極めて扱いにくい上に無能だったので、ずっと以前に見切りをつけて、ダラスの事件の頃には完全に接触を断っていたと証言した。
ふたりの亡命者の証言が真っ向から対立した形になり、後から亡命してきたノーセンコは厳しい尋問にさらされたが、ついに自説を曲げなかった。これによってCIAは、両者のどちらを信用するかで二派に分裂することになり、そのいがみ合いは未だに続いているのだ。そんな状況だったから、新しくやって来た亡命者には厳しく詳細な尋問が課せられたのは当然だろう。ゴールキンは同じ質問に何度となく答えさせられ、ポリグラフ(うそ発見機)にかけられ、その証言は入念に検証された。
しかしゴールキンは、このうんざりするほど長きにわたる事情聴取に耐え抜き、しかも協力的な態度を崩さなかった。そして亡命受け入れから約7ヶ月が経過した時点で、CIAはゴールキンを極めて有用な情報源と見做すに至ったのである。
イワン・ゴールキンは、ゴリツィンやノーセンコとはまったく違う特色を備えた特異な亡命者だった。彼は、モスクワで準備されている非合法工作やアメリカ国内にKGBが仕込んだスパイ・ネットワークについては、全くと言っていいほど情報を持ち合わせていなかった。その代わり、専門分野である中国についてはまさに生き字引だった。中国の内政事情や中ソ対立の現状について正確な情報を持っており、それを自らの専門知識に照らして分析し、近い将来に起こり得る事態を予測してみせた。だが、アメリカにとって何よりも有用だったのは、ゴールキンが中国と北ベトナムの関係についても詳細な情報を持っていたことである。アメリカはベトナムで泥沼にはまり始め、時のジョンソン政権は急激に支持率を下げていた。何とかして打開策を見い出したいアメリカ政府にとって、ゴールキンは重要な情報源となった。
ゴールキンの重要度が増すにつれ、彼の事情聴取を担当したデヴィッド・メイヤーも昇進した。何しろ7ヶ月もの長きに渡って、ほとんど毎日ゴールキンと顔を合わせ、子供時代の思い出からKGBでの苦労話まで、彼の半生の物語に耳を傾けてきたのだから、今ではメイヤーはゴールキンにとって親友のようなものだった。事情聴取が終わってからも、ゴールキンは何かにつけて彼を頼りにすることが多く、それによってメイヤーも、ゴールキンの担当管理官としてCIA内での地位を固めることになったのだった。
1968年8月下旬のある日、デヴィッド・メイヤーは20枚ほどの書類の束を持って、ゴールキンのところにやって来た。
「ワーニャ、頼みがあるんだ。ちょっとこれに目を通して、意見を聞かせてくれないか」
「何だ、これは」
「今年3月現在で、東アジアと西ヨーロッパの各国ソ連大使館に所属している職員のリストだ。この中にうちでスカウトできそうなのがいないかな。つまり、国に不満を持ってるとか何か弱みがあるとかいった噂のある人間がいたら、教えてほしいんだ」
「それは構わないが、東アジアはともかく西ヨーロッパの方は、私に聞くのはお門違いというもんだよ。それに東アジアでも日本は別扱いだ。合法駐在官は地域ごとに課が別れていて、お互いにほとんど交流がないからね。一応は目を通してみるが、たぶん私には名前も聞いたことのない連中ばかりじゃないかな。あまりお役には立てないと思うよ」
「だけど、あんた自身、極東が専門だったのにストックホルムに駐在してたじゃないか」
「私みたいなのは特殊なケースだ。まあ、似たような例がゼロだとは言わないし、確かにそういう人間が見つかれば、スカウトしやすいのも事実だが……」
そう言いながらもパラパラとリストをめくっていたゴールキンは、あるページでふと手を止めて、急に言葉を途切らせた。
「どうしたんだ、ワーニャ」
さっそく目ぼしい名前でも見つかったかと、メイヤーは期待に目を輝かせながら、ゴールキンの手許をのぞき込んだ。それは西ヨーロッパの中でもベネルクス及びフランスの大使館員が並んでいるページだった。
「驚いたな…」
ため息まじりにそう言ったゴールキンに、メイヤーは訊ねた。
「…この中に、特に知ってる名前でもあるのか?」
「知ってるどころじゃない」
ゴールキンはつぶやくように言った。
「北京時代の私の部下だ」
「てことは、やっぱり極東の専門家? あんたと同じケースだな」
「いや、この男は逆だ。もともとヨーロッパ専門だったのが、北京に送り込まれてきてたんだ。私以上に特殊なケースだったんだが…そうか、ようやく本来の専門に戻されたんだな…」
ゴールキンは何か思惑がありそうな顔で思案していたが、やがてメイヤーの方を向いて、確認するかのように訊ねた。
「なあ、デヴィッド。CIAはスカウトした相手を、いずれはこちら側に受け入れるものなのか?」
「…まあ当分はエージェント・イン・プレース(敵の組織内に留まって内部情報を流すエージェント、いわゆる二重スパイ)をやってもらうが、何年か後には受け入れるケースが多いよ」
メイヤーは突然の質問に戸惑いながら答えた。彼はまだ、エージェントの亡命受け入れを確約できる立場ではなかったが、敵側に留まっての内通行為などは、どんなに用心深く巧妙な人間でも、そうそう長く続けられるものではない。たいてい数年後には、敵に正体をあばかれそうになったり極度の緊張に耐えられなくなったりして、こちらに亡命してくるのが普通だった。
ゴールキンは頷くと、真剣な顔でこう言った。
「では、いずれこちらに受け入れるという前提で、ぜひこの男をスカウトして欲しい。実を言うと私自身、彼を補佐に使いたいと思ってた。まだ若いが冷静な切れ者でね。情報分析に優れた参謀タイプだが、ある事件で濡衣を着せられて、長く冷遇されていた。その件では国やKGBを恨んでもいるはずだ。そのあたりの事情を突けば、取りこめる公算は大きいと思う」
1ヶ所にアンダーラインを引いてゴールキンが差し出したリストを、メイヤーは受け取って興味深げに眺めた。アレクサンドル・マクシモヴィチ・ザイコフ。表向きの肩書きは、パリ・ソ連大使館の文化担当アタッシェとなっていた。