報復
「大使館を経由させたくないからに決まってる。うちが関わってると学生連中に知れては困るんだから」
これは確かに愚問だったと思いながら、マクベリーはさらに質問を続けた。
「内部で情報漏れが疑われてるんなら、この計画自体が中止になる可能性はないのか?」
「それはないね。あくまでも首謀者は学生たちという建前だ。止めようがない。無理に止めればボロが出る。そんな危険は冒さないよ」
「で、首謀者グループが潜んでいる場所は?」
「パリ近郊の片田舎としか知らない」
「それも事前に分からないか」
「…調べられないことはないが…」
言いながらザイコフがちょっと疑わしげな目を向けたので、マクベリーは補足した。
「いきなり襲撃はしないさ。あんたの言うとおり、クーリエの到着を待つ。ただ、隠密裏に事を運ぶには事前に場所が分かった方がありがたい。こっちも準備しておきたいからな」
「分かった。なんとか探ってみる」
「よろしく頼む」
「今日はお互い、実のある話ができてよかった」
ザイコフはそう言うと、マクベリーの傍を離れていった。マクベリーの方も壁際を離れ、支局長たちのいる方に向かった。歩きながら観察していると、パブロフ参事官がザイコフに近づいていくのが見えた。
ザイコフとパブロフは二言三言なにか言葉を交わし、やがてパブロフが頷くと、ザイコフは軽く一礼してレセプション会場を出ていった。先ほどの《新大統領のうわさ話》を報告書にでもまとめるのだろう。
こちらもザイコフから聞いた話を支局長に報告しなければ…とマクベリーが思った矢先、SDECEの男がすり寄って話しかけてきた。
「ずいぶん長くロシア人と話してたもんですねえ。何か面白い話題だったんですか?」
マルセイユの件で、SDECEはCIAの資産の正体に興味を持っている。この男は要するに、今のが《庭師》ではないかと疑って、遠回しに探りを入れてきているのだ。
「残念ながら、この場に《庭師》は来てませんよ」
長話になるのは避けたかったので、マクベリーは単刀直入にそう答えた。
「来ていたとしても、こんな場で接触はしない。今の男はパブロフの使いっ走りでしょう。大統領選挙の結果をタネに、向こうから話しかけてきたんですよ。ニクソンの醜聞でも聞き出したい風でね」
「その割には、話がはずんでたようですな」
SDECEの男は疑り深そうに言ったが、マクベリーとの会話の前後にザイコフがパブロフと何か囁きあったのは見ていたし、当のザイコフがまだ若く、しかも西ヨーロッパではまったく新顔だということにも気づいていた。CIAが手を出すには、少なくとも5年は早いような気もする。パブロフの使いっ走りだと言われれば、それが本当のようにも思えるのだった。
「いやあ、なかなかしつこくてねえ」
マクベリーは、そんな相手の様子をうかがいながら、苦笑してみせた。
「まあ、粘り強いという点では評価できそうだ。なんなら、おたくでスカウトしたらどうです?」
そう言ってポンと肩を叩いてやると、フランス人は肩をすくめた。
「使いっ走りなら足りてますよ」
「はは、そうでしょうね。うちもです」
マクベリーはそう言って話を切り上げたが、SDECEの男はなおも疑わしげな視線を、マクベリーの背に注いでいた。この場でエドワーズに近寄るのはまずい、とマクベリーは判断した。このフランス人はマクベリーの動向を観察している。今ここで支局長に耳打ちでもしようものなら、先ほどまでの話相手が単なる使いっ走りではなかったことを告白するようなものだ。
ちらと目を走らせると、エドワーズ参事官がこちらを見ていた。どうやら彼の方もフランス人の様子に気づいたらしい。マクベリーに目で頷くと、何気ない風で近くにいたイギリス大使夫妻と談笑を始めた。報告は後刻、この場を出てから、とマクベリーは理解し、気楽な顔を装ってカナッペやサンドウィッチの皿が並んだテーブルの方に足を向けた。
2時間後にレセプションがお開きになると、マクベリーはまず自宅に戻って、何はさておきまず着替えをした。窮屈なタキシードなんぞ、くそ食らえ。口の中でぶつぶつ言いながら、はき慣れたスラックスにセーターという普段の服装になって一息ついたところで電話が鳴った。エドワーズ支局長からだった。
「どうだった?」
エドワーズは訊ねた。
「こちらから伝えることは伝えました。で、向こうからも情報があったんですが…」
「どんな?」
「電話ではちょっと…」
「ふむ。ではこれから君の所に寄ることにしよう」
受話器を置いて20分後にエドワーズはやってきた。レセプションの後、誰かとのつき合いでカフェかバーにでも寄っていたらしく、まだタキシード姿だった。同伴を務めていたジェシカは、他の大使館員に車で送られて帰ったということだった。
「では、さっそく報告を聞こう。詳しく話してくれ」
部屋に入ってくるなり、支局長は居間の肘掛け椅子に腰をおろして切り出した。マクベリーは支局長に向かい合う形で自分も腰をおろすと、まず最初に《庭師》がCIAの提供した情報を聞くとすぐ、それがゴールキンの提案であると看破したことを話した。
「この話がモスクワに届けば、必ず気づく者がいると言うんです。たぶんゴールキンは狙われるだろうから、当面は彼を一ヶ所に留めて長距離移動させない方がいいと言ってます」
「なるほど…。それは確かに必要な処置だろうが、しかし、彼は今ロンドンでSISに協力中だ。それが済んだらアメリカに戻さなくちゃならん」
「でも、イギリスにいながらアメリカ本国と連絡をとるのは、そう難しくないでしょう。今日の《庭師》の口ぶりからすると、どうやらKGBの方はゴールキンがアメリカ国内にいると思ってるようですから、むしろ彼をしばらくイギリスに留め置く方が安全という考え方もできますよ」
マクベリーの提案について、エドワーズはしばらく考えていたが、やがて何度か頷いて言った。
「そうだな。よし。ではゴールキンを今のうちにアメリカ空軍基地のどれかに移すよう進言しておこう。ロンドンのセーフハウスよりは部外者の侵入を防ぎやすい。SISの用件もそこで済ませられるだろう。しばらく基地で様子を見て、必要ならば輸送機に潜り込ませて本国に送り返す。通常の国際線を使うのでなければ、移動もそうそう気づかれまい。他には?」
「もう一件あります。実はこちらの方が重要でして…」
このフラットにはCIAの防諜班が定期的にやってきて点検しているので、盗聴器などの心配はないのだが、それでもマクベリーは思わず声を低くして、ザイコフが話した内容を報告した。報告を聞くうちにエドワーズ支局長の眉間には皺がより、顔つきが陰鬱になっていった。
「それでどうする?」
話を聞き終わってエドワーズが訊ねた。
「警察に任せられない以上は、うちが独自に彼らの隠れ家を襲って、その自称ベトナム帰還兵を拘束するしかないと思います。今のうちに特殊部隊の人間を数人、呼び寄せておいて欲しいですね」