報復
「それは早急に手配しよう。だが《庭師》に言われるままクーリエの到着まで放っておくわけにはいかん。もちろん彼の立場も考慮しなければならんが、その間に学生どもの計画が、警察に嗅ぎつけられないとも限らないんだ。せめて連中の居所だけでも探し出して、見張っておく必要がある」
「グループの潜伏場所についても《庭師》の方で探るよう要求しました」
「では、その情報を急がせろ。クーリエの到着は潜伏場所を見張っていれば分かる。明日からジェシカをランヌ通りに張り付かせて、連中の居場所が分かり次第、彼女を通して連絡するように伝えろ。それから基本的には《庭師》の提案どおりクーリエを待って襲撃するが、隠れ家を見張っていて警察が探り始めた様子が認められたら、その時はやむを得ず急襲する。その旨も予め承知させておいてくれ」
「分かりました」
話し合いを終えたエドワーズ支局長がマクベリーのフラットを出たのは午前1時近くだった。
それから約2時間後、スイスのローザンヌで異変が起こった。風光明媚なこの街から20キロほど離れた山の中にCIAが所有する山荘がひっそりと建っている。そこに《庭師》が予告した例の亡命者が匿われていたが、それがどこからか漏れたらしい。深夜3時すぎ、この山荘にKGBの暗殺部隊が襲来した。
匿われていた亡命者、ニコライ・ペーロフ少佐は、階下で突然始まった銃撃戦の音に驚いて飛び起きた。ドアを細く開けて様子をうかがうと、廊下の警備にあたっていた二名の戦闘要員がハンドガンを手に、血相を変えて走っていく。彼らが廊下の端にある階段を降りかけた時、再び階下から軽機関銃の音が響いたかと思うと、一人がはじき飛ばされたように廊下の壁にぶつかって動かなくなった。もう一人は階段の途中までは無事に降りたらしく、ハンドガンを撃った音が聞こえたが、また短く軽機関銃を撃つ音がし、続いて重いものが階段を転げ落ちる音がした。それきり銃声は途絶え、やがて数名の人間が階段を駈け上がってくる足音が聞こえてきた。
ペーロフは急いでドアを閉め、鍵をかけた。いったい何が起こったのか分からなかった。いや、これがKGBの暗殺部隊の襲撃だということは分かりすぎるほど分かったが、彼らが襲って来た理由が分からなかった。俺が襲われるはずがない。俺は、亡命者を装って偽情報を流すようにとモスクワに命じられてここにいるのだ。なのに何故…?
パニックに陥っているうちに、廊下を走る足音はドアの前までやってきた。ペーロフは辺りを見回した。武器はない。ここで彼は亡命者として受け入れ側からの事情聴取を受けているのだから、武器などあろうはずがないのだ。廊下で軽機関銃の音が響いた。一瞬にして鍵が吹き飛ぶ。そのドアを蹴り開けて、全身黒ずくめの男が躍り込んできた。
「Предатель(裏切り者)!」
そう叫びながら男は腰の45口径を引き抜くと、ぴたりとペーロフの眉間に狙いを定めた。
「待て! これは何かの間違いだ!」
黒光りする銃口をつきつけられて、ペーロフは咄嗟にロシア語で叫んだ。
「撃つな! 私は重要な使命を負っている! これはモスクワの作戦なんだぞ!!!」
それを聞くと、黒装束に身を包んだ男はゆっくりと銃を下げながらこう言った。
「へぇ、そうなのかい。いい事を聞いたぜ」
それは、完全なアメリカ英語だった。