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報復

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 その夜、イワン・ゴールキンは午前1時ごろ眠りについたのだが、かつてプロの情報官として働いていた彼は、自分の部屋に何者かが入ってきた気配で目を覚ます敏感さを今も失っていなかった。これがKGBの殺し屋なら、なんとか最初の一撃をかわして騒ぎ立て、警護の人間が駆けつけるまで時間を稼ぐしかない。銃かナイフか、あるいは素手でくるかで身のかわし方も違ってくるから、まずは相手の出方を見るつもりで眠ったフリを続けていたところ、意外にも侵入者は小声で話しかけてきた。
「ミスタ・ゴールキン、起きておられますか?」
 ゴールキンは目を開けて、相手の顔を見た。初めて見る顔だった。薄明かりしかないのでハッキリとは分からないが、歳は40代半ばぐらいだろうか。アメリカ空軍の制服を着て、中佐の肩章をつけている。だが、その顔立ちはスラブ系に見えた。
「君はロシア人じゃないのか?」
 警戒の色を浮かべたゴールキンの顔を見て、相手の男は少し微笑み、ロシア語で答えた。
「さよう、人種的にはロシア人でありますが、しかし、私は生まれも育ちもアメリカであります」
 まったく訛りのないロシア語だったが、言葉遣いが何やら古くさい。ゴールキンは怪訝な顔になった。相手の男は続けた。
「私の両親は父母ともに、1917年にアメリカに亡命してきたロシア人家族の一員でした。そして、アメリカの地で知りあって結婚したわけです。かようなわけで、私は生まれた時からアメリカ国籍を与えられております。それに、もし私がKGBでしたら、わざわざあなたに声をかけて起こしたりなどいたしません」
 ゴールキンは納得した。彼のロシア語が古くさいのは、その家庭で祖父母や両親が話す革命前の言葉を聞き覚えたせいだろう。
「いや、よく分かった。それで、こんな時刻に私に何の用かな?」
 ゴールキンは英語で言った。彼のロシア語はお上品すぎて、どうにも肩が凝る。相手もそれを察したのか、きびきびとした英語に切り替え、ペンタゴンの命令書を示しながら答えた。
「CIAの要請で、あなたをこれからベントウォーターズ空軍基地にお連れします。ここにおられる事がKGBに漏れた疑いがあるためです。事前にお知らせしなくて申し訳なかったが、どこから話が漏れるか分からないので、用心のためとご理解ください」
「デヴィッドは知っているのか? いくらなんでも私の担当管理官が知らないというのであれば、あまりにも不自然だ。失礼ながら君の言葉を信じるわけにいかない」
「もちろんメイヤーは承知しています。しかし彼が動けば、あなたに関わることとしてKGBの目を引きます。ですから彼には、ロンドンで知らぬ顔を決め込んでもらったのです」
 そう言って男は短い手紙を見せた。タイプしたものだったが、最後にデヴィッド・メイヤーの見慣れたサインが入っていた。その手紙でメイヤーは、たったいま目の前の空軍中佐が説明した内容を繰り返し、アメリカで会おうと結んでいた。手紙を読み終わって、ゴールキンは訊ねた。
「私はアメリカに戻るのか? SISは、まだ何か聞きたそうだが」
「ここはもう危険です。必要ならば彼らの方でアメリカに来てもらいます。SISも承知するでしょう。あなたは今夜中にベントウォーターズ基地に入り、明日の早朝、そこから空軍機でアメリカに飛びます。KGBがアルコンベリーに注意を向けている間にイギリスを抜け出すのです。極秘行動はそのためです」
 ゴールキンは、今度こそ強く頷いた。
「よろしい。では急いで出かけよう」
 それから10分で身支度を整えたゴールキンは、ロンドン時間の午前2時過ぎ、空軍中佐が乗ってきた同じ車でアルコンベリー基地を離れた。

 ヨーロッパ時間・午前3時30分。そろそろパリの駐在官オフィスにイギリスから一報が入ってしかるべき時刻だった。参事官がじりじりし始めた頃、地下の通信室から当直係官が上がってきた。手には暗号電文の翻訳と思しき数枚の紙を持っていた。パブロフ参事官は待ちかねたように立ち上がると、係官から引ったくるようにして電文を取り上げ、それに目を通した。
「…これは望外の大成功だ」
 やがて参事官はそう言うと、満足そうな笑みを浮かべてザイコフに握手の手を差し延べた。
「おめでとう、アレクサンドル・マクシモヴィチ。今回の君の作戦は、我々に予想以上の利益をもたらしてくれたよ。このことは明日さっそくモスクワに報告を入れるつもりだ」
「ありがとうございます、ヴラジーミル・ステパノヴィチ」
 ザイコフは参事官の手を握り返しながら言った。
「でも、もしよろしければ、その予想以上だという成果をお聞かせ願えませんか」
「もちろんだ。まずアルコンベリー米空軍基地からゴールキンの身柄を無事に奪回できたことは言うまでもない。たった今ロンドンの駐在官が知らせてきた。今夜中に目立たない漁船に乗せてイギリスの領海を抜け出すことになっている。その後、北海の公海上で我が国の巡洋艦が引き受ける予定だ」
 ゴールキンを乗せた車はアルコンベリーを離れると、実際にベントウォーターズ基地のあるサフォーク州に向けてひた走ったが、その途中でゴールキンは、隣に座っていた米空軍中佐から腹部に強烈な一撃を受けて気を失った。それから空軍中佐は車を止めて、公衆電話からロンドンに電話をかけた。その時にはあの上品で古くさいロシア語は、パリパリの現代モスクワ標準語に変わっていた。ペンタゴンの命令書も、デヴィッド・メイヤーの手紙も、単なる芝居の小道具だったのである。ペンタゴンの公用箋だけは、正真正銘の本物を盗み出したものだったが、そこに記された国防長官の署名も、また手紙にあったメイヤーの署名も、KGBの専門家が精緻に偽造したものだった。アメリカでは公文書が公開されているから、その気になれば大統領のサインだろうと簡単にサンプルが手に入ったし、メイヤーのサインを手に入れることなど、ロンドンの街頭で無害そうな署名運動でも装えば朝飯前である。すべてはゴールキンを生きたまま密かに速やかに連れ出すための芝居だったのだ。
 パブロフ参事官は続けた。
「次に、これはパリ警察の無線を傍受したものだが、どうやらジョン・マクベリー氏は特殊部隊を率いて麻薬密売組織のアジトに踏み込み、警官隊と鉢合わせた模様だ」
「パリ警察も、さぞかし迷惑したことでしょうね」
 ザイコフがクスッと笑うと、参事官は人さし指を左右に振った。
「迷惑したどころじゃない。マクベリーが騒ぎを起こしたせいで、警察が逮捕を狙っていた組織の大物が、ヘロインの現物とともに車で逃走したらしい。パリ警察本部長は怒り心頭で、アメリカ大使館には正式な抗議を申し入れると息巻いているそうだ。こうなっては支局長のエドワーズも引責は免れまい」
「CIAパリ支局はトップ交替ですか」
 ザイコフは愉快そうに笑った。
「それは確かに望外でしたね。入念に捜査してきたパリ警察には、気の毒なことをしましたが」
「まだもうひとつある」
 パブロフが言った。
「君の連絡担当官だったジェシカ・ハミルトンとかいう女性だが、モンマルトルの安宿にいたところを、売春容疑でパリ警察に引っ張られたそうだ。もしや君、何か仕組んだのかね?」
作品名:報復 作家名:Angie