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報復

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 ザイコフは一瞬唖然とし、それから思わず吹き出すと、そのまま声をあげて笑い出した。椅子から転げ落ちんばかりに笑い崩れるザイコフを横目で見ながら、参事官は咳払いした。
「…ふむ。やはり何かやったな? だが、この件について私は何も聞いていないぞ」
「すみません。ちょっとした冗談のつもりだったんです。まさか、引っ掛かるとは思わなくて…」
 ザイコフはまだ収まらない笑いをこらえながら、苦しそうに言った。
「あの女は実は、私にコナをかけてきてたんですよ」
「本当かね? なんとまあ尻の軽いアメリカ女だ。CIA捜査官もずいぶん質が落ちてるらしい」
 参事官は不快そうに眉をひそめた。
「…私はもう少し良心的に見てますがね」
 ようやく笑いを収めながら、ザイコフは言った。
「良心的?」
「つまり、CIAは最初からそのつもりで、彼女を私の連絡担当にあてがったんでしょう。彼女はたぶん私を誘惑しろと言われてたんですよ。初対面から流し目で来ましたからね。そうやって私を翻意できない所まで追い込む魂胆だったのだと思います」
「なるほど、ありそうな話だな」
 参事官は頷いた。
「いずれにせよ、ずいぶん安く見積もってくれたものだと少々腹が立ちましてね。例の密売組織に関する警察の動向をチェックするうちに、たまたま今夜モンマルトルで売春宿を一斉検挙するという情報を耳にしたので、彼女の誘惑に乗ったふりをして、手入れの時刻に呼び出しておいたんです。と言っても、見るからにいかがわしい界隈だから、すぐにからかわれたと悟って引き上げるだろうと思っていたんですよ。まさか、ちゃんと宿で待っていたとはね。質が低いどころか、実に職務熱心じゃありませんか」
 そう言ってザイコフは、また笑い出した。
 彼にとっては、これこそ本当の望外だった。最初は単に、この一連の欺瞞工作が幕切れになる時には、彼女を呼び出してすっぽかし、からかってやろうと考えていただけなのだが、今朝になって例の麻薬密売組織の摘発が、ちょうど売春宿の一斉検挙と重なることが分かり、悪戯心が湧いたのだ。
 ちなみに、あの連れ込み宿の203号室というのは、例の通信官の情婦が《仕事場》として月いくらで借り受けていた部屋で、その鍵は常に彼女が持ち歩いていた。ザイコフは通信官に、一晩だけその部屋を使わせて欲しいと頼みこみ、彼女から鍵を預かって来てもらったのだ。ザイコフ自身は一度もそんな宿に足を運ばなかったし、またハナから運ぶ気もなかった。通信官は何やら誤解したようだが、明日になれば自分の情婦が検挙から救われたことを知るだろう。これでまた貸しが増えた。
 それにしても、あんな所に呼び出されて、からかわれたとも思わずにバカ正直に待っていたジェシカの気が知れなかった。
「やれやれ。ひどい悪ふざけをするもんだ、君も」
 ザイコフにつられて笑いながら、参事官は冗談まじりに付け加えた。
「女の方も気の毒に。案外、本当に君に気があったのかも知れんじゃないか」
「これでも穏便に済ませたつもりですがね」
 ザイコフは肩をすくめた。いっときは絞め殺して水底に沈めてやろうかと思ったほどなのだ。ザイコフにしてみれば、穏便この上ない報復だった。
「とにかくこれで、アメリカ大使館は、もうひとつスキャンダルを被るわけだな」
 参事官は満足そうだった。
「留置所を出るには、身分を明かさざるを得まい。CIAとは言わないまでも、大使館に身元を保証してもらわなくちゃならんだろうからな」
「そんな時刻にそんな所にいたんだ。ただの大使館職員じゃないことは自明ですよ。CIAを名乗ったも同然でしょう」
「確かにな。彼女はもうパリでは使いものにならんだろう。マクベリーは間違いなく国外退去だろうし、これでパリ・ステーションは支局長以下3名が帰国というわけだ。当分はまともに機能すまい」
 パブロフ参事官は改めてザイコフに向き直った。
「まったく期待以上の成果だ。私もモスクワにこれだけの成果が報告できて鼻が高い。いや、君の作戦は実に見事だったよ」
 ザイコフは立ち上がって、その称賛に一礼した。



 工作は確かに大成功を収めたが、これですっかり顔と名前を売ってしまったザイコフが、今後パリでは動きにくくなるのも事実だった。CIAはもちろん、イギリス領土内から亡命者を奪われて面目を失ったSISにも怨嗟の的にされるだろうし、運よく実害を被らなかったSDECEも、在パリ・ソ連大使館のアレクサンドル・ザイコフを要注意人物として、ブラック・リストに追加することは間違いない。ならばこのまま彼をパリに留めるより、いったん本国に呼び戻して、2年か3年ほとぼりを冷ました方がよいという判断がモスクワから降りてきて、パブロフ参事官もこれに同意した。
 そんなわけでザイコフは、当初の予定通りフランス共産党の視察団に随行し(つまり呼び出されたのは本当だった)、そのまま向こうに残ることになった。パブロフ参事官は内々に、ザイコフの階級が大尉に昇進したことや、今後2年間ヤセネヴォの新館で内勤を務めた後には、さらに少佐の階級を与えられ、西ヨーロッパのどこかに戻されるだろうことを教えてくれた。ザイコフは参事官に誠心からの感謝を述べ、次いでひとつだけ個人的な希望を願い出た。
 パブロフは少し眉を顰めたが、しばらく考えてからこう言った。
「…いいだろう。君のその希望は、少々立場を逸脱しているようだが、私からモスクワに伝えておこう。これは今回の作戦成功に対するボーナスで、特例だと思ってもらいたい。モスクワが承知したら、誰かが向こうの空港で君を迎えてくれるだろう」
「無理なお願いをして申し訳ありません。お聞き届け、感謝いたします」
 ザイコフはそう言って、深々と頭をさげた。
作品名:報復 作家名:Angie