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報復

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 12月2日・月曜日、午前9時30分。パリのアメリカ大使館ではエドワーズCIA支局長が出かける準備をしていた。その日、フランス共産党の公式視察団が午前11時40分発のエールフランス機でモスクワに出発することになっていたが、早朝に確認したところ、随行員のリストに変更はなかった。数日前まで彼らが《庭師》という暗号名で呼んでいた男が、堂々とフランスを出国していくのだ。おそらく彼はそのままモスクワに留まって、数年間は戻って来ないだろう。自分に煮え湯を飲ませてくれた男を、わざわざ見送りに行くようで癪だったが、エドワーズはそれ以上に、ザイコフという男に興味を覚えていた。《庭師》との接触はマクベリーとジェシカに任せていたから、エドワーズ自身は彼に会ったことが一度もなく、写真以外にはレセプション会場で遠目に姿を拝んだだけだった。この男がカーテンの向こうに姿をくらましてしまう前に、ぜひ一度、直接話してみたかった。
 まさに大使館を出ようとしたところで、エドワーズは不運にもジェシカにつかまった。ザイコフが今日出国することは彼女も知っていて、ほとんど動物的な勘でエドワーズの行き先を見抜いたのだ。そして、空港に行くのなら自分も連れていけと食い下がった。
「あんな屈辱的な目に遭わされて、何の報復もできないなんて! せめてひっぱたいて唾でも吐きかけてやりたいわ!」
「冗談じゃない」
 エドワーズは頭を抱えたい気分になりながら、厳しい口調で言った。
「向こうはソヴィエト政府が正式に招待した視察団の、公的な随行員だぞ。過激な行動は慎んでもらおう。それが嫌だと言うなら、ついて来られては困る。これ以上うちのメンツに傷をつけるような真似は、絶対に許さん!」
「だったら、支局長は何しに行くの?」
「私は彼に訊ねたいことがあるんだ。教えてくれるかどうか分からんがね」
「訊ねたいこと? 今さらあの詐欺師に何を訊くっていうの?」
 しつこく食い下がるジェシカに、エドワーズは苛々しながら腕の時計を見た。
「どうするんだ? 大人しくすると約束して一緒に来るのか、ここに残るのか」
「行くわ! 行きます!」
「絶対に過激な行動は慎むと約束できるか」
「分かりました。ひとこと嫌みを言うぐらいで我慢します」
 やれやれとため息をつきながら、エドワーズはジェシカに同行を許し、車に乗り込んだ。

 エドワーズとジェシカがオルリー空港の出発ロビーに着いたのは午前10時20分頃で、モスクワ行きのエール・フランス機のチェックインはすでに始まっていたが、公式視察団ともなればVIP扱いだろうから、空港に彼らがやって来るのはせいぜい出発の1時間前、最終チェックインぎりぎりだと思われた。エドワーズは出発ロビーの入り口からファーストクラス用ラウンジに続く通路を見渡せる位置で、柱にもたれて新聞を広げた。ジェシカも約束した手前、その場で大人しく待つことにした。
 やがて正面玄関の前に黒塗りのリムジンが3台連なって到着し、運転手が後部座席のドアを開けると、1台目からひとり、2台目と3台目からふたりずつ、計5人のフランス共産党幹部が降り立った。それと同時に1台目と3台目の助手席から随行員が出てきた。3台目から降りたのは、フランス共産党渉外部のフランス人で、こちらは各車の運転手がトランクから引き出した先生方の荷物を、とんできたポーターに預けながら指示を出し始めた。一方、1台目から降りてきたザイコフは、先生方を引率して空港内に入り、ファーストクラス用ラウンジの方へ導いていく。その長身をダークスーツに包み、外交官らしい儀礼的な微笑をたたえながら、お偉方に控えめな指示を出している姿は、やはり優雅と表現するしかない。
「ふん、すまし返って、いけ好かないわ」
 そうジェシカがつぶやいた時、ザイコフがちらりとこちらに目を向けたようだった。やがてグラウンドホステスが二人やってきて、ひとりがザイコフに何やら話しかけ、もうひとりが先生方をラウンジに案内する役目を引き継いだ。ザイコフは話しかけてきた方のグラウンドホステスに、手にしていた大判の封筒(おそらく先生方の出入国書類やエアチケットが入っているのだろう)を差し出し、後から追いついてきたフランス人の随行員に何かちょっと耳打ちした。フランス人は小さく頷いて了解の意を示し、お偉方の後を追って行ってしまった。こうしてザイコフは独りその場に残ると、ゆっくりとエドワーズたちの方に近づいて来た。直接の面識はなくとも、情報機関の人間としては、CIAパリ支局長の顔ぐらいは知っていて当然だった。
 エドワーズは黙って新聞をたたみ、ザイコフが話のできる距離までやって来るのを待った。ザイコフの視線は、もっぱらエドワーズに注がれていたが、近づいてくる途中で彼の後ろにジェシカの姿を認めると一瞬ぷっと吹き出したようだった。それを見てジェシカは逆上した。
「わ…嗤ったわね! よくも…!」
 噛みつきそうな顔で前に踏み出したジェシカの腕を、エドワーズ支局長は無言の迷惑顔で捕まえた。
「いや、失礼」
 外交官的微笑を取り戻しながら、ザイコフが言った。
「まあ、とにかく早々に釈放されて良かったじゃないか」
「良くないわ! あなたのせいで、この私が売春婦と一緒くたにされたのよ!」
 さすがに声を殺しながらも、ジェシカは語気荒く怒りをぶちまけた。ザイコフはちょっと肩をすくめ、ごく穏やかな声で、けれど辛辣な返事を見舞った。
「だって、似たようなものだろう」
「…侮辱だわ…!」
「侮辱はお互い様だ。君だって、この私があんな宿に顔を出すと、本気で思っていたんじゃないか。君があんな悪戯に引っ掛かったと聞いて、愕然としたのは私の方だ」
 怒りに耳まで真っ赤にしながら、ほとんど相手につかみかかりそうになったジェシカを、エドワーズはすんでのところで引き戻して言った。
「いい加減にしろ、ジェシカ! 事前に注意したはずだぞ。大人しくしていられないなら、車で待っててもらおうか」
 支局長に言われて、ジェシカは悔しそうに唇を噛んで引き下がったが、車に戻る様子はなく、そのままエドワーズの背後からザイコフを睨みつけていた。ジェシカを引き戻しながら、エドワーズはザイコフの方を振り返って言った。
「それに君もだ。頼むから挑発しないでくれ」
 ザイコフは一瞬、白い歯を見せてニヤリとし、それからまた儀礼的な微笑を取り戻すと、改めてCIAパリ支局長に向き合った。
「それで、ご用件は? まさか支局長じきじきに、私を見送りに来てくださったとも思えませんが」
「君に訊ねたいことがあってね」
「承りましょう。ただし答えるかどうかは、お約束できませんよ」
 エドワーズは頷くと、率直にこう訊ねた。
「あのマルセイユの海軍中尉だが、彼は結局、どこのネズミだったんだ?」
 このエドワーズの質問に、ジェシカは「えっ?」という顔をしたが、ザイコフの方はちょっと目を丸くして、面白いものでも眺めるような顔になった。エドワーズは続けた。
作品名:報復 作家名:Angie