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報復

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「今にして思えば、君がマルセイユにだけ銀行口座の情報をつけてよこしたのは、そこから手をつけさせたかったからだな。なにしろ我々が君を信じてしまったのは、結局のところ、あの海軍中尉の件があったからだ。どうせスペアのきく小物しか知らせてこないと思っていたのに、あれは現役で活発に動いていて、流していた情報も質の高い貴重なものばかりときた。どう考えても切り捨て自在の小物ではあり得ないし、計算ずくの損失にしては気前が良すぎる。あの一件はCIAに直接の利益はなかったが、君が本気でKGBを裏切る覚悟だと印象づける効果は充分だった。
 しかし、よく考えてみると、彼を運営していたのが本当にKGBだったという確たる証拠がない。君が知らせてきたことと、当の海軍中尉が《東欧訛りのフランス語を話す男》に脅迫されたと証言したことで、我々が勝手に納得していただけだ。その後フランスは被害評価の問題に気を取られてしまったし、我々の方は君が予告していた亡命者の登場で、海軍中尉の尋問に関わることを放念してしまった。あの亡命者があのタイミングで現れたのも、それを計算してのことだったんだろう?」
 エドワーズの話を聞くうちに、ザイコフの顔には笑みが広がっていった。
「なるほど。さすがにCIAパリ支局長ともなると、それほどバカでもないようですね」
 たかだか35歳になったばかりの若造にそんなことを言われても、エドワーズは腹を立てなかった。
「気づくのが少し遅すぎたがね。どうやら年齢に惑わされて、君を見くびりすぎたようだ」
 それは一種の賛辞だった。ザイコフにはそれがよく分かったし、自分に多大な損害を与えた敵を、罵るどころか評価するというエドワーズの雅量には、少なからず敬意も覚えた。
「…いいでしょう。これは、支局長、あなたに対する好意でお答えします。フランス側に知らせるかどうかも、ご随意になさってください。あの海軍中尉を使っていたのは、KGBとその協力機関以外で、東欧訛りの人間を豊富に抱えている機関です。すでにご想像はついていると思いますが」
「やはり、モサドか」
 あの有名なイスラエルの情報機関である。規模は小さいながらも、世界中に散らばるユダヤ人コミュニティーを利用できるため、その活動はKGBやCIAにも引けを取らなかった。ソ連や東ヨーロッパにもユダヤ人社会があるし、スラブ系言語を母語として育ち、その後イスラエルに移住したユダヤ人も多い。表向きにはCIAと協力関係にあるが、内実はなかなか微妙なものがあり、あのマルセイユの海軍中尉についても、モサドは何ひとつCIAに情報を提供していなかった。
 ザイコフは頷いた。
「あの海軍中尉の妙な趣味には我々の方でも気がついて、取り込むつもりでアプローチをかけたところ、すでに何処かに飼われていたのですよ。何処だろうと思って調べてみたら、モサドだった。ところが当の海軍中尉は、自分を操っているのはKGBだと思い込んでいるから、転向させようにもかえって難しい。それならいっそ、フランスに売って潰してしまえという話になったんです」
「なるほどね。あの男の供述に《仲間と思しき二人目の男》から電話を受けたとあったが、するとそれが本物のKGBだったんだな」
 ザイコフはちょっと微笑んでエドワーズの結論を肯定し、話の先を促した。
「他には何か?」
「ゴールキンの居場所は、どうやって知ったんだ?」
「ああ、申し訳ないが、それは言わないでおきましょう」
 マクベリーはすでに国外退去を言い渡されて自宅謹慎中だった。この上、あの男の失言のおかげだったなどと言って貶める必要はない。ザイコフはそう判断して言葉を濁した。むしろ、そうして思わせぶりに答えを控えれば、いまCIAを騒がせている内通者の存在を肯定したような印象を与えるだろうと計算した。だが、その思惑が成功したかどうかは分からなかった。エドワーズは軽く頷くと、すぐ次の質問に移ってしまった。
「…では、ペーロフがああも素早く消されたのは、どういう仕掛けだったのかな?」
「彼はなにしろ、にわか仕立てでしたからね。一連の工作が完了したら速やかに取り戻すつもりで、居所を把握しておくために最初から尾行をつけてあったのです。長くは持たないと思ってはいたが、それにしてもCIAがあんな手を使って早々に正体を暴いてしまうとは考えていなかった。彼を本格的な尋問にさらすわけにはいかないし、奪回しようにも移送が急すぎて準備が整わなかったので、やむを得ず処分したのですよ。白状しますが、あれだけは計算外の損失でした」
 エドワーズは大いに納得がいった。モスクワはやはり、ペーロフが失敗する可能性を考慮していたのだ。ただし、彼が考えていたのとは、まったく別の理由によって。
 思わず唸りたくなったエドワーズに、今度はザイコフの方が訊ねてきた。
「ところで、フランス外務省の秘書官の方は、もうSDECEに知らせましたか?」
「いや。あれは君が直接扱っているという話だったから伏せていて、まだそのままだが…」
 言いながらエドワーズは、最初に《庭師》防衛のためのサービス情報を、その秘書官を使って流そうと提案した時、ザイコフが拒否したことを思い出した。あれはつまり、そのルートでは、情報は彼の手に渡らなかったということか。エドワーズは苦笑した。なるほど、この男は確かにチェスの名手だ。後から思い返せば、どの行動もどの発言も最終目的に向けての布石になっているのだ。
 そのエドワーズの表情を読んで、ザイコフがまたニヤリとした。
「…するとその秘書官は、どこに飼われているのかな?」
「具体的にどこと教えてしまっては、過剰サービスというものです。私の権限を越えてしまう。とにかく我々ではない、とだけ申し上げておきましょう」
 そう言って悪戯っぽく片目をつぶって見せると、ザイコフはちらりと時計を見た。
「さて支局長。もう他になければ、私はこれで。つまらない役目だが、放ってもおけませんからね」
 実を言えばエドワーズには、もうひとつ訊ねたいことがあった。最初に資料を読んだ時に直感したことだが、この男にはやはり《何か》があるような気がする。どうあっても捨てることのできない何か、それゆえにKGBに留まる何かが。それが何なのかを訊いてみたかった。だが、今回の件で彼のデリケートな過去をさんざんつつき、その怒りを煽り立てた直後でもある。当初から反発を招く可能性を考えないではなかったが、CIAパリ支局を完膚なきまでに貶め、ゴールキンをソヴィエトに連れ戻すに至った報復の凄まじさは予想外だったと言うほかない。この期に及んでまたもや過去に言及し、KGBに留まる理由を問うことは、さすがに憚られた。
 エドワーズは結局その質問を口にしないまま、ザイコフを放免することにした。
「ああ。引き止めてすまなかったが、君と話ができて良かった。何年かしたら、また西ヨーロッパに戻ってくるんだろう? 次にCIAを相手にする時は、こう簡単にはいかないと思っておいてもらおう」
作品名:報復 作家名:Angie