報復
「その日はあんたの意思表示だけだ。もしあんたが現れたら、連れがいないかどうか確認した上で、うちの連絡員が接触して改めて会合の場所と日時を知らせる。逆にあんたが来なければ、我々も断られたと諦めて、二度とこんな風に煩らわせないと約束する」
「…分かった」
「じゃ、そういうことで。邪魔して悪かったな」
マクベリーはそう言って席を立ち、店を出ていった。
その場に残されたザイコフは、ひとまずタバコに火をつけたが、2〜3度ふかしただけでそれを灰皿に突っ込み、テーブルに両肘をついて指を組むと、その上に頭をもたせかけた。先刻まではリータのことで割と上機嫌だったのに、突然やってきたCIAに奈落の底に叩き落とされてしまった。心臓を締め上げられて拷問されたような気分で、タバコをふかしたら吐き気がした。
今さらCIAに言われなくとも、過去に何があったかぐらいザイコフ自身がいちばんよく知っている。その10年前の古傷は、確かに彼のアキレス腱だが、それにしてもずいぶん容赦なく攻撃してくれたものだ。彼女はもはや生きてはいまい。いや、そうであって欲しかった。願わくば、長くつらい目をみることなく死を迎えたのであって欲しかった。彼女のことでは何年も自分で自分を責め続け、胸に地獄を抱えていた。ここ数年でようやく自分を許そうという気になれたのに、あのアメリカ人が《どういう目に遭うか承知で》などとほざいてくれたおかげで、彼女が辿ったであろう運命がまたぞろ生々しく想像されて、再びあの地獄に逆戻りだった。
そうやって奈落に叩き落としておいて、あのアメリカ人は今度はザイコフの目の前に、一本のロープを降ろしてきた。その地獄から引き上げてやろうと言わんばかりに降ろされたそれは、《裏切り》という名のロープだった。愛した女性を売り渡した男に相応しく、今度は祖国を売り渡せということだ。
我知らず手に力がこもり、組んだ指先が痺れてきていた。そうでもしなければ身悶えしてしまいそうなほど、怒りと悔しさが胸に渦巻いていた。
ザイコフは波立った心を静めようと、なおしばらく同じ姿勢のまま目を閉じていたが、やがてグラスの底に残っていたスコッチを一息に飲み干して席を立った。あのアメリカ人は3日で結論を出せと言ったが、席を立った時にはもう、すっかり心が決まっていた。