排他的ユーフォリア
地の守護聖ルヴァの館に謹慎の知らせが届いたのは、その日の深夜に近付いた頃だった。
翌日から一週間の自宅謹慎処分に加え、その間に薬物の使用がないか監視員が一人つけられることとなった。薬物の製造に加担しないようにと使用人たちも同じく一週間、館への出入りが禁止された。
身の回りのことはルヴァ自身ある程度できるため、彼はこの決定をごく自然に受け入れた。そんなもので済んでいいのかとすら思うほど、彼にとってはぬるい処分と言える。
そして執事が持ってきた緑茶を口に含む。一瞬ぴくりと彼の眉が動いたが、それ以降何事もなく湯飲みは空になった。
その夜、ルヴァはまた愛しい人の夢を見た。
今まで毎週末に見ていたものとは違い、妙にリアルな感覚を伴っていた。
エメラルドの瞳が少し愁いを帯びてこちらをじっと見つめ、温かい手がそうっとルヴァの頬に触れた。
「アンジェ……来てくれたんですね」
少し掠れた声音は寂しさを堪えすぎたせいで聞く者の胸を穿ち、切なさを誘う。
オリヴィエのサクリアがもたらした最初で最後の幸せな夢だと思ったルヴァは、胸の内に溜めこんできた想いを洗いざらいぶちまける。
「逢いたかった……」
飲み込み続けた言葉が迸った刹那、堪らず頬に触れていた手を掴み思い切り引き寄せた。今まで感触も匂いもなかったアンジェリークが、いまはとても生々しく感じられた。
「愛しています。あなた以外何も要らないんです、本当に、何ひとつとして……!」
間近に見た宝石のように潤み輝く瞳がいとおしくて、両頬を優しく挟み込んで口づけた。
甘く香る肌にくらくらと眩暈を起こしながら、幾度も唇を重ね舌を絡める。彼女からの囁きが遠くに聞こえたものの、ルヴァは無我夢中でアンジェリークを求めた。
うつらうつらとした意識からふいに目覚めたルヴァはふと片側が温かいことに気づき、まだ強く残っている眠気と気だるさを堪えて薄目で横を見た瞬間、驚愕した喉がひくりと締まった。
「……ひぇっ!?」
そこにはすやすやと眠っている彼の天使、女王アンジェリークがいた。
真っ白でつるりとした光沢を放つ綺麗な肩が丸出しになっている。一体何が起きたのかと混乱しながらも事態を把握しようと脳がフル回転し始めて、ひとまず自分の着衣に乱れがないかを確認した。
一応寝間着は着ていたが、上半身は前がすっかりはだけていてかろうじて袖を通しているだけだ。下はちゃんと穿いている────が、シーツが全体的に湿っぽい気がする。肩から二の腕にかけて、昨日はなかった筋肉痛もある。
(ぐ……グレーすぎて確認のしようがないじゃないですか……!)
とにかく放っておくとむき出しの肌に目が行ってしまうため、ルヴァは慌てて背を向けてベッドの端に逃げた。できるだけ彼女の熱を感じないようにと距離を離しても、急激にばくばくと暴れ出した胸の鼓動はなかなか収まりを見せず、火照った顔を隠すようにシーツに潜り込む。
二人の間に入ってくる隙間風が気になるらしく、もぞもぞとアンジェリークが動き出す。
「…………さむぅい」
そんな小声がルヴァの耳に届き、背中が温かくなった。
「ひっ…………!!!」
首筋をふわふわとくすぐる感触は彼女の髪なんだろうかと思った途端、思わず叫びそうになり慌てて口を押さえた。起こさないようにとは思っていたものの、体がびくりと揺れた振動でアンジェリークの目がぱちりと開いた。
「お、おはようございます……あの、狭かったでしょ?」
声を聴いて、ルヴァの中に可能性の一つとして浮かんでいた”とても良く似た他人説”が音を立てて崩れ去る。
「あ、い、いえ……それほどでは……ですがあの、陛下」
「はい?」
こちらの当惑を知ってか知らずか、宇宙の至高は穏やかに返事をする。それも頬ずりのおまけつきで。
「なぜここにいらっしゃるんです……?」
そしてどうしてぴたりとくっついてくるのか────彼女は女王になる道を選び、二人の関係はそこで終わったはずだ。
「なぜって、ルヴァが離してくれなかったんだもの」
「ええっ?」
けろりと告げられた言葉に耳を疑うルヴァ。
「……もしかして、昨日のこと覚えてないんですか?」
背中から聞こえる不服そうな声音だけで、ルヴァにはアンジェリークが唇を突き出している様子を容易く思い浮かべることができた。
「き、昨日のことっ?」
身に覚えがあると言えばあるし、ないと言えばないような気がする。これでは残念ながら白黒はっきりつけられるはずもなく、完全なるグレーの状態だ。
(一体何をやらかしたんですか私は……!)
アンジェリークの手がルヴァの寝間着の背の部分をきゅっと掴んで、恥ずかしそうにゆるゆると口角を上げた。
「ルヴァにね、あんな……情熱的なとこがあるなんて、知りませんでした」
スコンと抜け落ちている部分を埋めているのは、彼女への有り余る愛をうわごとのように呟きながら、ただひたすらに求めていた夢の記憶。
今までになく生々しい感覚があった────それが”事実起きていたこと”だったのだとしたら。
「昨夜の出来事は全部夢だと思っていたんですが、あなたの言葉を聞いていると、どうやらそのー……夢じゃなかった、ようですね……」
未練がましくすがる姿を一番知られたくない相手に知られてしまい、心が遥か彼方へ突き飛ばされたように気落ちしたルヴァは、半ばやけくそな気持ちでその場を取り繕う。
「どうぞ宮殿へお戻りください。今頃は皆、あなたを心配して探し回っているかも知れませんよ」
早く離れて欲しい、とルヴァは願った。背に伝わる熱のせいで先程から胸の奥がちりりと痛いのだ。この新しい痛みを忘れるまでに、今後どれだけの時間が必要になるのだろうか。
「嘘つき。わたしに逢いたかったって何度も言ってたのに」
「あれは単なる私の妄想ですから……どうか忘れてください」
柔らかな肌に触れて幾度も漏らした本音。面と向かっては言えなかっただろう言葉の数々を夢の中でならと告げていたが、やはり夢ではなく紛れもない現実だったのだと分かり、恥ずかしさにシーツへと顔を埋めた。
「ねえルヴァ、こっち見てお話しましょうよ」
「お断りします!」
背を向けたまま即答するルヴァへ、アンジェリークが眉尻を下げた顔でそろりと身を寄せる。
「どうしてですか?」
再び強まった熱を思い切り振り払うようにして、ルヴァが体を離した。
「それを、いまここで私に言わせるんですか。どうしてだか、理由はあなたが一番よくご存知のはずです!」
胸の奥が焼け爛れるような苦痛に腹立たしくさえ思って、丁寧な言葉が一層尖る。
手を伸ばさずとも触れられる距離にある状況下で、想いを寄せ続けてきた相手を目の前にして平常ではいられない────さすがのルヴァといえど、耐えられる自信はなかった。
「ええ、知っています。わたしがあなたを深く傷つけてしまったことも、分かっています」
彼女のどこか達観した声に憤りに似た感情がどっと突き上げてきて、それは心の内側をざりざりと削り傷つけてはルヴァを苛む。
喉から飛び出そうとする粗い怒りに支配されるがままに、何か一言を言い返そうと体を反転させた。
「だったら、尚更……っ!」