陽は国境へと傾き…
けれどユリアは死ななかった。殺されなかった…という方が正確かも知れない。
モスクワに着いて始めのうちは、監房から頻繁に呼び出され、尋問と称する奇妙な茶番に何時間も付き合わされた。なにより奇妙だったのは、尋問官たちが、ユリアの企てにザイコフが関わっていたという筋書きを、彼女に認めさせようとしたことだ。明らかに理屈に合わないそんな筋書きが、一体どこから出てきたのか、ユリアにはさっぱり分からなかったが、尋問官たちは執拗だった。一貫して否定し続けるユリアを、ある時は大声で怒鳴りつけて脅し、ある時は猫なで声で懐柔しようとした。少し…というよりかなり不愉快な扱いを受けたこともあった。得体の知れない薬物を注射されて朦朧としたことも、二度ばかりあった。そのとき自分が何をしゃべったのか、思い出そうとしても分からなかった。ひょっとすると、尋問官たちを満足させるような事を口にしたのかも知れない。それ以降、その「尋問」とやらも次第に回数が減って間遠くなり、やがて呼び出されることもなくなった。
これでいよいよ処刑されるのだろうとユリアは思ったが、いつまでたってもその気配はなかった。死の宣告は今日か明日かと待ちながら、暗く湿った監房の中で長い長い無為の月日が流れて行った。ごくたまに、将校に伴われた医師が回ってきて形ばかりの健康診断をしていく他は、声をかける者もなく、誰もがユリアのことなど忘れてしまったかのようだった。粗末な食事だけは日々与えられたが、狭い監房の中でほとんど動かずにいるせいで食べる気も起こらず、手をつけないままネズミが群がるのを眺めていることが多かった。そんな風にして、身体は徐々にやせ細って衰弱していった。
ユリアは何度か、監房の前を通りかかった看守に訊ねてみたことがある。
「私はいつ、処刑されるのでしょうか?」
だが看守たちは、ぶっきらぼうに肩をすくめるばかりで、返事があってもせいぜい「知らない」の一言を吐き捨てるようにして行ってしまうのだった。
ほとんど日の当たらない石の壁は冷たく、ユリアは何度も病みついて高熱を出した。そのたびに、このまま処刑を待たずに病死するのだと思ったが、ほとんど意識を失う頃になると、どういう偶然か例の医師が健康診断に回ってくる。そして死にかけているユリアを獄内の病室に運びこみ、どうにか生きながらえる程度に回復させてしまうのだった。
ユリアは医師にも訊ねてみた。
「なぜ、私を生かしておくのですか?」
すると医師は質問には答えず、逆に聞き返した。
「君は死にたいのかね?」
「私はここへ、殺されるために来たのだと認識しています」
ユリアがそう返事をすると、医師に付き添っている将校が横から言った。
「お前の処刑命令は、まだ出てない」
「どうせいつか処刑するなら、治療などしなくても良いのではありませんか?」
「そうはいかん。処刑前に囚人が死ぬと、我々にマイナス評価がつく。昔はそんなこともなかったんだが、今はそういう時代なんでね」
なんとも分かりやすい理由だった。要するに保身のためなのだ。
「では、私の処刑命令はいつ出るのでしょうか?」
ユリアは将校に訊ねてみたが、その答えは看守たちと同じだった。
「そんなことは知らんよ」
そんな風にして、いったいどれだけの月日が過ぎて行ったのだろう。それは気の遠くなるほど長くのっぺりとした、無意味な時間だった。だが変化は突然やってきた。ある朝、狭い廊下の石壁にこだまする数人分の靴音が近づいてきたかと思うと、監房の扉が開かれ、鋭い声が響いた。
「出ろ!」
ようやく処刑される日がきたのだとユリアは思った。今ではもう待ち望んでいたと言っても過言ではない。ユリアは衰弱しきった脚でのろのろと立ち上がり、将校と思われる男の命令に素直に従った。ところが、監房から出て連れていかれた先は、処刑が行われるという中庭ではなく、窓から陽光が差し込む明るい部屋だった。そこでは、もう一人別の囚人(囚人だろう、ひどくやせ衰えた男性だった)が、例の医師の診察を受けている。ユリアは座って待つように言われたが、指し示されたのは粗末な木の椅子ではなくクッション付きの寝椅子で、驚くと同時に気味が悪くなった。
やがて男性の診察を終えた医師は、次いでユリアの診察をし、そのあと今度は看護婦が入ってきて、先の男性とユリアの双方に点滴を施しはじめた。栄養点滴だと医師は言った。いったい何が起こっているのか分からず、その囚人と思しき男性の方に問いかけるような目を向けると、彼の方もさっぱりワケが分からないという顔で応えた。なんにせよ、処刑されるわけではなさそうだった。今から殺す予定の人間に栄養点滴など、冗談にしてもあり得ない。
その後も、キツネに化かされたような好待遇は続いた。点滴を受けている間に、周囲に白い布製のついたてが巡らされたと思ったら、看護婦が汚れた服を脱がせて身体をきれいに拭いてくれた。美容師だという女性が、指も通らないほどボサボサになったユリアの髪を洗い、短く切りそろえてくれた。彼女らはむっつりと不愛想だったが、仕事は丁寧だった。
何時間かたって点滴が終わる頃になると、ユリアともう一人の男性は、車椅子に乗せられて建物の外に連れ出され、そこで救急車に乗せられた。それまでは二人とも押し黙っていたが、狭い車の中で隣り合わせになったのを機に、恐るおそる言葉を交わしてみると、その男性もハンガリー人だった。暗く冷たく長い長い空白の月日の果てに思いがけず耳にした母国語の響きは、お互いをホッとさせた。これからどうなるか分からない状況だけに、無邪気なおしゃべりとはいかなかったが、目的地に到着するまでの短い間、ユリアは彼と小声でポツポツと話をした。そして、見知らぬ相手と自然に言葉を交わしている自分にふと気づいて、唖然としたのだった。
到着したところは、空軍基地だった。そこにはユリアたち以外にも、各地の収容施設にいたという囚人がさらに7人ばかり集められていて、それが皆ハンガリー人だった。そしてここで初めて、自分たちが故国ハンガリーに送還されることを知った。いかにも上等そうな服を着た、いかにも地位の高そうな役人が、いかにも偉そうに勿体ぶりながら「わがソヴィエト連邦とハンガリー人民共和国の友好と発展のため」という意味不明な理由をつけて、そう宣言していったのだ。後から聞いた話では、チェコスロヴァキアの反ソ・民主化運動を武力鎮圧するにあたって、ハンガリー政府に軍を出させるための政治取引だったらしい。
こうしてユリアは生きてブダペストに戻ってきた。10年の歳月が流れていた。