譚恒譚
換気に少し窓を開けていたが、明日の朝は気温が下がりそうだ。寒くないよう、窓を閉めてやり、部屋を後にすると、他の雑用に向かった。
銀川が食事を終えるには、十分な時間が経った。
器を下げに、譚恒は、また銀川の部屋へと向かう。
部屋に入り、愕然とした。
「あーー!、将軍!、さっぱり手を付けてない!!。」
これだけ大声を上げても、銀川はピクリともしない。
軍報には、何か余程の事が書いてあるのか、眉が幾分つり上がって見えた。
これはもう食べる所ではないのだろう。
何かに夢中になる子供の様だ。
夢中になる内容は、、、血腥(なまぐさ)い。
「やれやれ、良い肉を贈り届けてもらったから、ご馳走にしてもらったのに。誰の為だと思います?。将軍の為ですよ。食べなきゃ、贈り主にお礼が言えないでしょ。」
「、、、、、、。」
譚恒の声が聞こえていないのか、それどころではないのか、銀川は微動だにしない。
銀川の側まで行き、盆を覗くと、皿は元より、箸一つ触れてはいない様子だ。
譚恒は溜息をつく。
「、、、、、、、将軍、、、食べさせましょうか?。」
「、、、、、、。」
銀川は答えなかった。
これ迄、こんな事をしたことは無いが、、、。
譚恒は、箸と肉の乗った皿とを手に持ち、箸でつまんで銀川の口の前まで持っていく。
「、、、将軍、口開けて。」
「、、、、、、。」
銀川は素直に口を開けるが、視線は書に向けたままだ。
銀川の口の中に、肉を放り込んだ。口に入れられると、ゆっくりと噛んで飲み下す。
これは良い!、と、譚恒はこのまま銀川に食べさせる事にする。
せっかくの上等の肉なのだが、銀川に味が分かっているかどうかは疑問である、、。
まさか銀川に届いたのに、銀川の口に入れない訳にもいかない。
銀川の記憶に残ろうが分からなかろうが、食べた事は食べたのだ。
「将軍。」
そう言って、口の前までもっていくと、銀川は口を開ける。
口に入れられるとゆっくりと噛み、、、、ゆっくりと噛み、、、ゆっくり噛み、、、そして次第に噛むのを止め、口に肉を入れたまま止まってしまった。
「将軍!、飲む!!!」
譚恒にそう言われると、ごくりと飲み下した。
良い方法を見つけたと思ったが、先が思いやられた。
十(とお)程の一口大の肉の塊は、譚恒の努力でやっと無くなった。
器を炊屋に下げ、片付けをして、銀川の部屋に戻ってくる。
ようやく、軍報の半分を越した様だ。間もなく銀川の手に持っている書も終わるだろう。
一枚めくり、それでこの書は終わる。
目を通していないのは、もう二冊だ。
全てに目を通すのは、夜半過ぎになるだろう。
部屋が大きいせいか、些か寒さを感じて、譚恒は銀川の体に、外套を掛けに行く。
外套を掛けると同時に、この書を読み終えた様だ。
「、、、ふぅ、、、。」
書を閉じ、一息吐き出し、卓の左に書を置いた。
そしてまた銀川は書を取り、開く。
「将軍!、その書はもう読んだでしょ!!。」
「、、、?。確かめたい事があるのだ。見直さねば。」
銀川は、ぽかんとした顔で譚恒を見る、何が一体悪いのかと、、。
「それじゃ、いつまでも読み終わりませんよ。」
呆れ顔の譚恒だった。
「、、、譚恒、先に休め。私に付き合う事は、無いと言ってるだろう。お前だって疲れているのだ。」
じっと座りきりで、根を詰めている銀川に、譚恒は、茶の一服を出してやりたいのだ。
以前こうして、根を詰めた銀川が、一息ついたのを見計らい、譚恒が熱い茶を出してやった。
余程それが身体に沁みたのか、飲み干すと、見たことも無いような安らいだ顔をした。
東海との戦が始まると、美味いものを食べようが、茶を持っていこうが、常に眉を顰(ひそ)めて、ぱたりとそんな表情は出なくなった。
『気掛かりな事』が頭を離れないのだ。
(あんなに可愛らしいのに、、、。)
銀川のあの顔をただ見たい、そんな譚恒の下心だった。
銀川の定まらぬ心を、少しでも溶かしてやりたかったのだ。
「付き合いますよ、将軍。それ全部読んだら、疑念が晴れるでしょ。」
「無理をするな。」
銀川は譚恒に僅かに微笑むと、また視線を戻して、たちまち書に没頭していった。
譚恒は、銀川のいる卓から離れた寝台に腰を下ろすと、そこで頬ずえを付いて銀川を見守っていた。
銀川が最後の軍報を読み終わり、静かに閉じた。
疑念が晴れるどころか、疑わしさだけが沸々と強まった。
何か、、何か分からぬものが、戦の蔭で蠢いている。そんな確信が更に強まった。
━━やはり、ただの戦では無かったか、、、。━━
何処に訴え、何処を調べれば陰謀を暴けるのか分からない。
━━だが、間違いなく、、、、。━━
重ねた軍報に手を置いて、目を瞑る。
戦に謀は付き物だ。
━━それにしても、、、謀があったにしても、腑に落ちないのだ。裏切りがあり、虚をつかれたにしても、これ程までに、、、。
東海の撤収も、、酷く不自然だ、、、。
これは、、決して小物が起こした謀では無い。
私以外に疑念を持った者がいないのだ、、、。つまり協力者がいない、、。
隠れた首謀者を暴くにも、相当難航するだろう、、。譚恒や配下が捜査しても、恐らく何も出はしない。
然るべき立場の人物に話し、私が動かねば、進まぬだろう。
だが、、、一体、誰に、、、。━━
暫し、そのまま動かずに、思考を巡らし、今まで感じた何かを反芻していた。
「、、ぁ、、。」
━━喉が乾いた。
そういえば、譚恒が付き合うと言っていたが、、、。━━
「、、、、、ン、ガア、、、。」
不意に音がして、閉じていた目を凝らして辺りを見回す。
薄明かりの中、部屋に譚恒は見えなかった。
銀川は立ち上がり、音のする辺りに燭台の明かりを向け歩いていく。
土間に置いた机の上には、茶の道具が揃えてあった。
炉には火種がまだ生きており、炭を足せば湯を湧かせるだろう。その炭もまた、ちゃんと用意されている。
譚恒が用意したのだろう。
「、、、、ガァ、、、、。」
また音がする。
明かりを向けると、寝台の上で譚恒が寝ている。音は、譚恒のいびきだったのだ。
足を土間の方に投げ出して、、、、起きていようとしていた努力は、まぁ伺えるが、疲れて抗えなかったのだろう。
「譚恒、風邪をひくぞ。」
銀川は、靴を脱がせてやり、頭が枕に乗るように、譚恒の体を動かしてやる。
「ぁぁ??、、。」
譚恒が目を覚ました。
体が重いので、少々、乱暴に扱わないと、譚恒の体は動かせない。
「譚恒、ほら、風邪をひく、ちゃんと寝ろ。」
「、、姑娘!!、私もですっ!!!。」
目を覚ましたかと思いきや、突然銀川に抱きついてきた。
馬鹿力で抱きついてきて、銀川に唇を寄せてきた。
「馬鹿、やめろ!!。」
引き剥がそうとしても、中々剥がれない、、譚恒の執念のようなものも、、、、。
「譚恒、起きろ!!、目を覚ませ!!。」
とっさに、譚恒の腹に拳を食らわせた。
「ぉ"ぉ"、、。」
譚恒は呻いて、銀川からずるずると剥がれていった。
「すまぬ譚恒、、突然で、、大丈夫か?、。」
それでも起きない譚恒だった。余程の疲れているのか、、。
━━それにしても、譚恒は一体どんな夢を見ているのだ。━━
銀川は、頬に涎がついたのを、袖でぬぐった。