BYAKUYA-the Whithered Lilac-2
――サイコロで賭博なんて甘いものじゃなく、ロシアンルーレットね。それも六分の五が弾丸の、ね――
女は、そんなことを考えながら、川沿いに設置されたベンチへと腰を落とした。『虚ろの夜』の影響で、人工的な雑音は一切聞こえない。川のせせらぎが耳に優しく、夜風も穏やかに頬を撫でる。
――こんな時でなければ、ゆっくりと過ごしたいものね……――
「や。お待たせ」
女の心を乱す存在が、両手に缶ジュースを持ちながら戻ってきた。
「はい。これ」
ビャクヤが女に渡したのは、ミルクティーだった。
「姉さんの好物だったんだ。ハーブティーも好きだったけど。よく自分で淹れていたよ」
ビャクヤも同じミルクティーを持っていた。
ビャクヤは、フェンスに寄りかかり、缶の蓋を開けミルクティーを飲み始めた。
「ふう……懐かしいな。姉さんの事を思い出しちゃうから。ミルクティーなんてずっと飲んでなかったからね」
女は、渡されたミルクティーには一切口をつけず、手に持っているだけである。
「あれ。飲まないのかい?」
「おあいにくさま、私は紅茶はストレートが好きなの」
建前であった。本音は、ビャクヤから受け取ったものなど口にしたくないだけだった。
「そうなんだ。じゃあこれ」
ビャクヤは、鉤爪に挟んだ缶を手に取り、女に差し出した。
「これは……ストレートティー?」
「お好みに合わなかったらと思って買っておいたんだ。やっぱり気が変わったりしたら。まだ他のがあるよ」
ビャクヤは、さらにもう一本缶ジュースを持っていた。それはレモンティーである。ビャクヤは、自動販売機で買える紅茶全て買っていた。
女は、ストレートティーを所望してしまった手前、むげに断ることができなくなってしまった。もしも断れば、ビャクヤの機嫌を損ね、無事ではすまされなくなるかもしれない。
「……いただくわ」
女は、仕方なくストレートティーを受け取って蓋を開けた。二口、三口ほど口に含む。
自販機で売っている紅茶にしては、味も香りもいい気がした。喉から鼻へと抜けていく茶葉の香りが、女の心を落ち着けた。
――気持ちを鎮めるには、ちょうど良かったかもしれないわね……――
「よかった。飲んでくれて。そういえば姉さ……いや。貴女は姉さんじゃないし。貴女の事はなんて呼べばいいのかな?」
「姉さん。でいいわ、もう……」
女は、さんざん姉さん呼ばわりされてきて、今更変えさせるのも面倒な気がした。それに、ビャクヤとこうして話すのはこれっきりだろうと思い、好きに呼ばせることにしたのだった。
「やった……!」
案の定、ビャクヤは喜色を浮かべる。
「それで。姉さんは僕に訊きたいことがあったんだよね? 何でも訊いてよ。できるだけ力になるからさ」
ビャクヤは、仮の姉のために、何かしら役に立ちたいと張り切っていた。
しかし、対する女の方は、あまり期待していなかった。
探しているものが、このような不気味な少年ごときから聞き出せるとは思えなかった。
よくて、この近辺に暴れまわるものの噂を聞き出せれば上出来である。
「どうしたの? 遠慮せず訊きなよ」
ビャクヤは、女にニコニコと屈託のない笑みを向ける。
「…………」
女は、もう一度心を沈めるべく、紅茶を少し口にする。
そして、ビャクヤに訊ねた。
「あなた。最近この辺りを荒らし回っている『偽誕者』について何か知らないかしら?」
ビャクヤは渋い顔をした。
「姉さん? ここいらにそういうヤツは。掃いて捨てるほどいるんだよ? それだけの情報じゃあ分からないよ」
やはり知らないか、と女は思うが、同時にビャクヤの言うことにも一理あると考える。
しかし、女は、捜している者を口外したくはなかった。
これまでのやり取りで、ビャクヤは少し変わった少年であると考えられたが、少なくとも好戦的な性格ではないと思われた。
しかし、女の捜す者は、全くの正反対であった。
相手が虚無であろうと、『偽誕者』であろうと、顕現を持つものであれば、何にでも襲いかかる非常に狂暴な状態に陥っている。
そんなものが、ビャクヤとかち合うことになれば、まず間違いなく戦い、いや、殺し合いに発展することだろう。
――ちょっと待って。このままだと?――
女は、考えながら、最悪の可能性に気付いてしまった。
例えこの場は穏便に過ぎることができたとして、彼女について何も知らないビャクヤが出会ってしまうことがあればビャクヤに、女の捜す者が殺される可能性である。
ビャクヤから感じられる顕現は、不気味な上に非常に強い。二人が戦い合うことになれば、間違いなくビャクヤが勝つに違いない。
故に女は、秘匿するのは危険だと思ったのだった。
「姉さん? おーい。姉さーん」
ビャクヤに呼びかけられ、女は、はたと我に帰った。
「姉さん。どうしたのさ? ずっと難しい顔して黙っちゃって?」
「ごめんなさい、少し考え事をしていたのでね。あなたの言う通り、これじゃ情報が足りなさすぎたわね。質問を変えるわ。この辺で女の『偽誕者』の噂は聞いたことはないかしら?」
女は内心、この男と彼女が出会っていないことを祈っていた。
ただ見聞きしたことがある。そうした情報が返ってくるのを切に願っていた。
「うーん。知らないなあ。男の『偽誕者』とは数えきれないくらい出くわしてるけど。女の人と『この夜』で会ったのは姉さんが初めてだよ。そうそう。『この夜』に来られるって事は。姉さんも『偽誕者』なんだよね? それにしてはずいぶん力が弱いけど」
ビャクヤの解答に、女は安堵と落胆が半々であった。
「そう。なら悪いことは言わないわ、その子に遭うようなことがあったら、逃げなさい。忠告しとくわ。それじゃ、お茶、ご馳走さま」
これ以上、ビャクヤを詮索したところで、何も出ては来ないと思い、女はベンチから立ち上がった。
「ああ! 待ってよ。姉さん! お願いだから!」
ビャクヤは、必死になって女を引き留めようとする。
「何かしら? 私は急いでいるの。『虚ろの夜』で暴れまわっているだろう、あの子を捜すために」
「あの子? 姉さんはその『偽誕者』を捜しているのかい?」
「いちいち下らないことを訊かないで頂戴。あなたには関係の無いことよ。さよなら」
「待ってよ! 姉さんの言ってることが本当なら。そんなのに会うのは危険じゃないかい!? 姉さんにもしもの事があったら……」
「あったら、なんだと言うの? 姉さんなんて呼んでるけど、私はあなたの姉ではない、赤の他人でしょう? 私がどうなろうと、あなたには無関係じゃなくて?」
「無関係なんかじゃないよ。やっと姉さんに会えたのに。これでお別れなんて嫌なんだ。勝手なことを言っているのは分かっている。だからもう少し話しをしようよ!」
ビャクヤが何故、こうまでして引き留めるのか、女にはまるで理解できなかった。
女が、ビャクヤの姉に似ているから彼は引き留めようとしているのか、と思ったが、それにしては執着が強すぎるように感じる。無事にこの場を収めるには、やはり無下にはできない。
「ふう……」
想像していたよりも、それもまるで考えもしなかった方向への厄介な事態に、女は、大きくため息をついた。
作品名:BYAKUYA-the Whithered Lilac-2 作家名:綾田宗