『掌に絆つないで』第四章(前半)
Act.08 [コエンマ] 2019年11月6日更新
幽助たちが冥界に突入した後、コエンマは口のおしゃぶりを外して準備を整えた。
「よし、後はあいつらが戻るのを待つだけだ」
「コエンマさま……」
「どうした、ぼたん。浮かない顔をして」
「実は幽助じゃないんです、桑ちゃんを呼んだのは」
「ん? そういえば……桑原がそんなことを言っておったな。やつを呼んだのは蔵馬だったのか。それで黒鵺が偽者だったということにも合点がいく」
幽助が桑原を蘇らせると言って人間界へ渡ったことも幸運だった。幽助とぼたんが呼びに行かなければ、桑原は復活を遂げたものの人間界に取り残されたままで、現状を把握できなかったに違いない。
ふと、コエンマの脳裏に疑問がよぎる。
幽助は人間界に行く前に霊界に立ち寄り、冥界玉を手にしているはずではなかったか?
「……結局、幽助は霊界に行かなかったのか……?」
「行きました」
「冥界玉は?」
「使いました」
「……どういうことだ?」
いよいよ神妙な顔つきのぼたんが、その原因を述べた。
「人間界に、螢子ちゃんを置いてきました」
すぐには理解できなかった。ぼたんの言葉を信じたくない、そんな心理が働いたのかもしれない。ひと呼吸おいた後、コエンマはおそるおそる言葉を紡いで核心に迫った。
「雪村螢子を……蘇らせた……、のか……?」
「……はい」
危惧していたことが起きてしまった。コエンマは片手で額を抑え項垂れた。
なんてことだ……。桑原が復活した今、彼らは二度目の辛い別れを果たさなくてはいけないというのに、幽助にいたっては、同時に二人。
「それで幽助は……」
「蔵馬を連れ戻してから、螢子ちゃんを迎えに行くつもりだと……言ってました」
「……そうか……」
雪村螢子。彼女が幽助にとってどれほど大きな存在か、コエンマはよく知っていた。それ故に、事態の重さに動揺を隠せなかった。
「……すみません、無理矢理螢子ちゃんをこちらに連れてくることは……私にはできませんでした」
「わかっておる。その役目はお前には荷が重過ぎる。それで、彼女も桑原と同じように、若い姿で蘇ったのか?」
「はい、中学へ通っていた頃の姿でした」
「……今の幽助と十分つりあう姿なんだな……」
もともと童顔の幽助は、成長が止まった今も人間界でいうところの高校生で十分通る。それとは裏腹に、螢子も桑原と同様、一度は年老いて死んでいったのだ。
螢子の生前、二人はまるで孫と祖母のように見えただろう時期も長かったが、彼女は最期まで幽助の恋人だった。
幽助は魔族となってから、魔界と人間界を行ったり来たりする生活を繰り返していた。どちらかというと魔界で暮らし、ときどき人間界の螢子のもとに顔を見せに行っていたようだ。
いつも一緒にいるわけでもない、ずっと離れているわけでもない、傍から見れば彼らは不思議な関係だった。事実、種族の違いという壁を乗り越えてしまった二人は、他人には計り知れない形の愛情を手にしていたのかもしれない。
そんな二人にも、時間を止めることだけは出来るはずもなかった。
いつの日か、螢子の命がもう長くないと知った幽助は、彼女を避けるように人間界に近寄らなくなった。
彼は知っていたのだ。次に自分が姿を見せるとき、螢子はこの世から旅立つだろうことを。
数十年、幽助を人間界で待ち続け、影ながら支え続けた螢子は、最期に覚悟を決めた幽助に見守られて息を引き取った。彼女を霊界から送り出す瞬間は、コエンマにとってもつらい経験のひとつといえた。
「……コエンマ様」
「ぼたん、お前ならどうする?」
そう訊ねながら、コエンマは自分自身にも問いかける。
彼は立場上、感情を最優先にすることはありえないが、その立場が少し変わればどうなるだろうか。自らの感情を押し殺すことは、口で言うほど容易くはない。
「……正直、わかりません。螢子ちゃんや桑ちゃんがこのままでいることはできない……それはわかっていても……」
ぼたんはそれ以上言葉を続けることが出来なかった。
『また会おうぜ』
桑原が最期に残した約束は、予期せぬ形で果たされた。別れを前提にした再会など、誰も望んではいなかったというのに。
作品名:『掌に絆つないで』第四章(前半) 作家名:玲央_Reo