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 炭治郎の想いに応えたりしなければ、きっと義勇には誰の目にもお似合いの素敵な彼女ができただろうし、誰からも祝福される未来が待っていたに違いない。義勇の気持ちを疑ったりはしていないけれど、どうしたって考えてしまうのだ。義勇が誰よりも幸せになるには、自分でないほうが良かったんじゃないかと。
 同時に、たとえ世界一の美女だろうと世界一の才女だろうと、義勇の隣に恋人然と立ってほしくないとも思う。義勇の腕枕で眠るのも、義勇からの甘く熱い口づけを受けるのも、これからの生涯ずっと自分ただ一人であってほしいと願う。

 どちらも本心だから、厄介だ。

 我儘を口にしろと義勇は言うし、実際、慣れぬ我儘を義勇に述べるたび、炭治郎が驚くほどに上機嫌に甘やかしてもくれる。けれども、長年の片想いで骨身に染み付いた「迷惑をかけたら嫌われる」という不安感は、いまだに拭いがたくて、頻繁に頭をもたげては、炭治郎を恐慌状態に陥らせる。
 去年の義勇の誕生日には風邪を引いて、祝うどころか迷惑をかけてしまったのだが、体調不良のせいもあってか覿面にそれが表に出た。炭治郎にしてみれば苦々しい想い出である。
 かてて加えて、その年のバレンタインには誕生日の失敗が尾を引いていたものか、それとも我儘になれとの義勇の言葉に引き摺られたか、義勇が貰ってきたチョコに嫉妬して、小さな喧嘩までしてしまったのはまだ記憶に新しい。というよりも、それが頭にあったからこそ今年のバレンタインはとにかく甘く、完璧に!との意気込みがあったことは否めない。
 喧嘩と言っても、ようは炭治郎が拗ねていただけで、義勇はそんな炭治郎にご満悦だったような気もしないではいのだが。
 十歳の歳の差は、余裕の差でもあるようで、なんとなく悔しい気がしていることは、まだ義勇には内緒だ。それを口に出したなら、義勇はますます炭治郎を猫可愛がりにして、大人の余裕を見せつけてきそうな気がするので。
 そんなちょっぴり意地の悪いところも、今までの二人暮らしで思い知ったけれども、そういうところも好きだなんて、正直終わってるなぁと思わなくはない。
 だからといって、嫌気がさすなんてことがあるわけもなく、義勇に恋していると自覚したときから、この想いは金輪際消えることがないことも本能的に悟っている。後悔なんてしようがないのだ。二人でいることが幸せで幸せで、どうしようもなく幸福なのだから。

 傍から見ればどっちもどっちなバカップルだろうが、炭治郎にそんな自覚はあまりない。義勇はわりと自己評価を低く見積もりがちだが、こと恋愛に関しては、炭治郎の自己評価は義勇とは比べ物にならないほど低い。
 なにしろ炭治郎にとって義勇は初恋で、最初で最後の恋だ。比べる対象が存在しない。
 そのお相手の義勇はと言えば、とにかくモテる。炭治郎の目には眩しいくらいに完璧だ。美しく格好いい容姿も、清廉な佇まいも、耳に甘い声だって、麗しいという言葉に最もふさわしい人だと炭治郎は思っている。
 少々口下手で、表情筋が死んでると揶揄されるほどの無表情が基本状態という残念さも、少しぐらい隙があったほうが完璧すぎるより好ましいじゃないかと思う。PTAから苦情がくるほどのスパルタっぷりだって、生徒を想うあまりの生真面目さゆえ。そんなところも立派だと思うし、義勇の素敵なところだ……との力説は、残念ながら親友の善逸や伊之助には理解してもらえなかったけれども、まぁいい。義勇のなにもかもを受け入れられるのは、自分だけでいいのだ。
 それに、義勇の良さを理解してはくれずとも、炭治郎と義勇の仲には理解と祝福をくれたのだから、それだけで十分だ。
 たとえほかの誰かのほうが義勇を幸せにできるとしても、義勇を好きな気持ちだけは、そんな誰かよりも絶対に自分のほうが深く重いと、炭治郎は自負している。それだけは、一生誰にも負けるものかと、誓ってもいた。


 パイプ椅子に並んで腰かけて、自販機で買った缶コーヒーを飲みながら、ゴゥンゴゥンと音を立てて乾燥機のなかで回る敷きパッドをなんとはなしに眺める。小さな声で会話する内容は、実に他愛ない。その間も、気が付けば炭治郎は、義勇の顔に見惚れて物思いに耽ってしまう。
 だって思い出してしまうのだ。こんなふうに二人きりでコーヒーなんて飲んでいると、初めて義勇に抱かれた翌朝を。

 あの日も、手を繋いでまだ人気のない商店街を二人で歩いた。まだどこも店は開いていなかったから、駅の近くのコンビニまで行き、朝食用の食パンやらなんやらを買ったんだっけ。ガードレールに腰かけて、義勇が買ってくれたカフェオレをを握りしめて泣いた炭治郎を、義勇は人目もはばからず抱き締めてくれた。あのときの義勇の腕の強さと優しさを、炭治郎は一生忘れることがないだろう。

 ぼんやりと見惚れる炭治郎の視線に気づいたのか、義勇の唇が少し意地悪げに弧を描いた。こういう顔もだいぶ見慣れた。けれども見慣れたとはいえ、それでなにが変わるわけでもない。やっぱり見惚れてしまうし、ぶわりと湧き上がる色香にクラクラと酩酊感に襲われもする。
 いや、変わったことも少しはある。この顔はたいがいベッドの上で見せつけられるものだったりするので、条件反射で体の芯も熱を帯びてしまうのだ。これは二人で過ごすのに慣れた今でこその反応だ。まるでパブロフの犬のようだと思いはするが、物欲しげに瞳が潤むのを止められない。
 義勇の右隣に座った炭治郎の右手は、缶コーヒーを握っているが、左手はお留守だ。義勇だって右手に缶を掴んでいたから、べつにどうなるわけでもなかったはずなのに、義勇の横顔に見惚れている内に缶は左手に持ち替えられて、気が付けば道行と同じように手を取られていた。
 指を絡め合うように握られた手。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。こんな手の繋ぎ方を初めてしたのも、義勇の部屋に転がり込んだ翌朝だったなと、頭の片隅で思う。
 炭治郎が経験したことのある恋にまつわるアレコレは、すべて義勇の色に染められている。これまでも、これからも、きっと変わることなく義勇にだけ受け渡すのだろう。望むところだ、不満なんてない。
 別れや浮気沙汰はまっぴらごめんだし、万が一そのときがきたら、果たして立ち直れるものか甚だ不安だが、それ以外ならば義勇がくれるものすべて、炭治郎は余さず飲み込んでしまいたいのだ。義勇のすべてを炭治郎が作れたらいいと思うのと同じくらい、自分のすべてを義勇の色で染めてしまいたくなる。
 なにもかも言いなりなんてきっと義勇は望まないし、炭治郎だって、そんな自我を持たない自分は想像するのもごめんだ。それでも願ってしまうのは、義勇が炭治郎を損なうようなことなどするわけがないと、信じているからだろう。
 炭治郎が炭治郎であるがままに、一つも損なわせることなく、義勇はきっと炭治郎を自分の色に染めていく。そうなっていく自分が嬉しいと思ってしまうのだから、もうどうしようもない。
 今だって、ゆるりと繋がれた手からぞくりと背筋を走った甘い痺れを、義勇はきっと察している。義勇が望むままの反応だと、ほくそ笑む瞳が語っている。