心配無用、準備は万端です
義勇が提示した条件に、眼鏡の下の目をまん丸く見開きつつも、変な好奇心の色を見せずにいる初老の不動産屋は、きっとたいそう人が好いのだろう。
仲介物件の多いチェーン店では、意に沿う物件は探しにくそうだと思った。できるなら、憂慮の種は来るべき日に備えてすべて摘み取っておきたい。それにはやはり、地域に根差した不動産屋選びから始めたほうが良さそうだ。そう判断したから、目を付けた駅近くにあった個人経営の不動産屋に決めたのだが、義勇の期待にこの店主ならば応えてくれそうだ。
「えーと、確認させていただきますね。間取りは2DKから2LDKで、風呂トイレ別。商店街に近いほうがいい、と。角部屋希望。二階以上、っと。できればインターフォン付き。防犯大事ですからね、ええ。ウォシュレット完備で……将来的には、えーと、ご家族ではない男性お二人で、お住まいになる……はぁ、なるほど」
「家賃は上限五万五千円くらいで。管理費込みでお願いします」
「いやぁ、まぁ、そのご予算でしたら、間取りなんかはね、お客さんの条件に合う物件は心当たりはいくらでもありますよ。ええ。でも、うーん……ご家族じゃないとなるとねぇ、嫌がる大家さんが多いんですよ。いやいやいやっ、偏見とかじゃないんですよ? ルームシェアはどちらかが出て行かれると家賃を滞納する場合も多いもので」
広い額に浮かんだ汗を拭きながら、眉尻を下げて話す不動産屋に、義勇は表情を変えることなくこともなげに言った。
「家賃は私が継続的に全額出す予定なので、問題はありません。それと、家族ではないと言っても法律上はというだけで、嫁に迎えるのと同じことですからルームシェアには当たりませんし、別れるつもりだってありません」
ゴフッ。と、むせこむのを懸命に堪えた不動産屋は、プロ意識が高いと思う。
「あの……デリケートな問題ですしね、お客様のプライベートに踏み込む気はまったくないんですが」
「ゲイのカップルじゃ貸す部屋はありませんか」
食い気味に言った声がやけに切なげに響いたのは、言うなれば演出だ。必要ならばそれぐらいの芸当、なんてことはない。
人の好さげな不動産屋はたちまちブンブンと首を振った。偏見という二文字が頭を過ったにせよ、良い反応だと義勇は内心ほくそ笑んだ。
さて、もう一押し。
「……勤務が決まっている学校の近くでは、変に噂を立てられても困りますし、この町に来たのは偶然ですがとても雰囲気の良い町だったので、きっとここなら受け入れてもらえるんじゃないかと期待したのですが……」
あなたは偏見の目で見ないと期待したのにと言わんばかりの言葉には、少しだけ寂しげに見えるよう、諦めの滲んだ微笑みなんか添えてみる。
使えるものなら顔の良さだってフルに利用しようじゃないか。とはいえ義勇本人からすれば、自分の容姿などたいしたものではないと、本音では思っている。姉の蔦子をはじめ炭治郎の両親だとか、親友の錆兎や幼馴染の真菰、高校時代からの腐れ縁で、とうとう職場まで縁が続くことになった宇随やら胡蝶カナエなど、顔立ちの整った者は周囲にやたらといるものだから、自身の容姿が特別優れているなど思ったことはない。けれどもさすがに大学を卒業するこの年にもなれば、他人の評価は自分の認識とはどうやら異なるらしいと、承知もしていた。
なにより、炭治郎は義勇の顔が大好きらしいので、その点では早世した両親に感謝せねばなるまい。
義勇の審美眼的には、世界で最も愛らしい顔といえば炭治郎の顔にほかならないので、お互い好きな顔を見て過ごせるのだから、たいへん目に優しい生活になること間違いなしだ。最短でも六年後の話ではあるけれども。
おそらく錆兎や真菰、宇随あたりがこのやり取りを見たのなら、大爆笑間違いなしの大根っぷり間違いなしだ。それでも、炭治郎の太鼓判付きの顔の良さは、多少の棒読み具合など軽く補ってくれたらしい。
義勇のしゅんと肩を落とした様子に、勝手に色々と想像をふくらませてくれたものか、たちまち気の毒げな顔つきになった店主は、うんっと一つ頷くと、胸を叩いて言ったものだ。
「大丈夫! お任せください、うちで持ってる物件にね、お客さんの条件にぴったりなやつがありますから、よろしければ内見してみませんか。建物自体は少々古いんですけどね、新婚さん向けに内装はリフォームしてますし、気に入られると思いますよ」
さて、そこからは話はとんとん拍子に進んで、もうすっかり義勇はこの町に溶け込んでいる。引っ越してきて以来、義勇自身が特別苦労してコミュニケーションを取らずとも、いつのまにやら商店街を歩けば「冨岡先生、たまにはちゃんと自炊しなよ」だの「先生、コロッケ持ってきな。売れ残りだから冷めちゃってるけど、うちのは冷めても美味しいからね!」だのと、好意的な声をかけられるようにまでなった。ありがたいことだ。
そのために地域密着型の、昔からあるような個人経営の不動産屋を選んだのだから、計算通りとも言える。むしろ思惑をはるかに超える効果に、少々面食らっているほどだ。どうやら義勇の想像以上に、あの人の好い不動産屋は顔が利くらしい。広報役として最適な人物を選べたことは、順風満帆な未来の先駆けのようで、義勇としては大変満足だ。
この分なら炭治郎が越してきても、きっと友好的に受け入れられるだろうと、義勇は内心で少々悦に入る。
誰からも好かれる炭治郎のことだ。時間をかければきっと、周囲の人に馴染むのに問題はないだろうが、予備知識なしでは偏見の目で見る者だっていないとはかぎらない。通りすがりの二度と逢うこともない相手ならまだしも、生活圏内でそんな心ない視線に炭治郎を晒すわけにはいかなかった。
ついでに言えば、好かれすぎても困る。あくまでも、炭治郎は義勇のものと認識されたうえで、周囲の人々に愛される状態でなければならない。
炭治郎を迎え入れるまでに年数が開くことについては、少々説明が面倒ではあった。だがそれも、同性愛というデリケートさが言葉足らずを補って、向こうが勝手にドラマチックな想像をふくらませてくれるものだから、願ったり叶ったりだ。義勇としては、愛する相手と暮らす日を夢見て真面目に働く好青年の顔を崩さなければそれで良かった。
教師という職がその手助けになったのもありがたい。炭治郎の年齢がバレなくて幸いだ。さすがに炭治郎の年齢を知れば、一気に義勇の株は地に落ちたことだろうから。
肝心なのはいったいいつ、あの愛してやまない存在をこの手のなかに囲い込めるのかという点だが、実際のところ義勇はあまり悩んではいなかった。
なにしろ炭治郎は、義勇が帰省するたびに全身に歓喜を漲らせて、赫い瞳に熱い眼差しを乗せ、大好きと声にならない言葉を義勇にぶつけてくる。義勇に恋人らしき相手がいないのか、蔦子や錆兎たちに逢うたびリサーチしているのも、当然のごとく把握済みだ。
義勇が大学を卒業し地元に帰ったときには、少しだけ不安そうな顔を見せたけれど、それもすぐに消えていき、義勇の姿を見る瞳には年々恋慕の色が濃くなっていく。
作品名:心配無用、準備は万端です 作家名:オバ/OBA